第1話 動き始めた日

演奏会に向けての練習の合間、俺たちはお遊びでヴィオラを奏でていた。
曲が終わると共に、那月が作った等身大人形の目が瞬いた――

どくん、どくんと音が鳴っている。ほかにも何か遠くの方で鳴り響いている。
目は開いているのに視界がぼやけて、何も認識できない。
冷たい体が少しずつ感覚を取り戻すように、僅かに指が動いて熱が上がってくる。
それと同時に目を伏せることが出来たけど、今度は開くことが出来ない。
暗闇の中、周囲を探る機能が活発化したのか、音がよく聞こえるようになった。
それはずっと遠くで響いていた音で、熱い熱い音。力強く荒々しいとも言える情熱的な音色。
もっと聞いていたい。そう思ったとき、その音が鳴り止んでしまって、開くことの出来なかった目を開けることができた。
瞬間、体がどくんと大きく鳴って、反動でずるずると横に倒れこんだ。
慌てる声が2つ聞こえてくる。でも、何を言っているのか、どうして慌てているのか分からない。
不意に体が軽くなって、少しずつ視界がクリアになっていく。
オレンジのような黄色いものが2つ揺れている。
自分の意思とは関係ないところで体がふわふわと揺れ始めて、安定しなくて不快に感じる。
「俺が探しに――」
「僕が頑張って探すから、さっちゃんはそのままついてて!」
焦る声が2つ。片方の黄色が離れていって、もう1つの黄色は変わらず目の前にある。
「眉間に皺寄ってんな…。ベッドまで運んでやるから、少し我慢しろ…つっても聞こえてんのか…?」
そうして、聞こえてきた声に俺は抱え上げられているのだと知った。
聞こえてる、と唇を動かそうとしても、体同様に動かなくて、なんとか目を瞬くことだけ出来たと思ったとき、黄色いのが近づいてきて、動けないでいたら背中からぐっと持ち上げられて、落ちそうになる頭を支えられる。そのまま、唇に触れる柔らかい何か。
途端に、再び体が大きくどくんと鳴って、僅かに開いた唇に熱い空気が漏れ入ってくる。
そして、一気に視界がクリアになった。黄色いものはオレンジがかった髪の色で、翡翠色の細められた鋭い視線が突き刺さってきて、やっとで口付けをされているのだと理解した。唇から全身にかけて広がるように体が熱くなってきて、涙が出そうだったから目を伏せた。すると、離れていく唇にほっとした。
「…血色がよくなったな」
一言だけ呟かれて、また体が揺れ始めると、すぐさま別の声が飛んでくるように耳に届く。
「さっちゃん、キスして!」
「は?」
「その子に!」
まだ動くことはできなくて、もう1度同じようにそっと唇に触れられれば、さっきまで以上に熱が上がるようだった。初めよりも僅かな時間で離れていって、軽くなった瞼に目を瞬かせると、頬に触れられる。
「わぁ!白雪姫みたいで素敵です!」
顔を覗き込んでくる2つの同じ顔。片方はメガネを掛けていて、声のトーンが高く、両手をぱんと叩いて満面の笑みを向けてくる。俺を抱えているらしいもう片方はさっきまでの鋭い視線から僅かに優しい顔になっていた。
そして、その顔に見覚えがある事に気づく。名前は何だっただろうか。
「で、ほかには何が分かったんだ?」
足音を響かせながら廊下を抜けて部屋に入ると、たくさんのぬいぐるみが目に入る。そのまま真っ直ぐにピンクや黄色の布が掛かった天蓋付きのベッドへと体を下ろされて布団をかぶせられた。体はまだ動かすことができなかった。
そして、2人はベッドに腰掛けた。
「やっぱり僕にはドイツ語って難しくて…」
「貸してみろ」
古くて分厚い本を渡してから、再び俺の顔を覗き込んでくる。
「ねえ、名前どうしよう?知ってる?話せる?」
名前を問われて、自分の名前まで忘れてしまっていることに気づいた。
でも、メガネを掛けていない方が俺の名前を呼んだ。
「翔だ」
そうだ。俺の名前は翔。来栖翔…。
「翔…ちゃんですかぁ?違ってたらどうするの?」
「……違ってるも何も、それ以外認めない」
「ふ〜ん?変なさっちゃん。僕の名前は那月っていいます!四ノ宮那月」
その名前に目を瞬いた。
「…な、つき…?」
自然と声がついて出て、言葉にした瞬間「那月」という人物が一気に頭の中に蘇った。
那月は俺の恋人だ。そして、俺たちはアイドルを目指す早乙女学園に通っている。
なのに、なんで那月は俺の名前を聞こうとした?俺の名前どうしようって何?
「わ、わぁ!喋ったよぉ!さっちゃん聞いた?」
それに、思い出した瞬間から気になっていたもう一人。
さっちゃんって砂月…だよな?那月の中に居る別の人格…。
なんで人として存在してるんだ?でも、砂月は俺の名前をちゃんと呼んだ。ということは、那月だけが俺のことを忘れてるのか?
「あぁ…見た目に反して低いな。一応、男ではあるのか」
そう思ったとき、その一言で俺は重くて動き辛い体を無理やり起こして叫んだ。
「一応も何もまぎれなく男だ!!」
2人は目を見開いて驚いた顔をしている。
何で驚く?
一応男ではあるのかってどういう意味だ?砂月は覚えてるんじゃないのか?
「か、かわいい〜〜!」
間髪入れずに那月が抱きついてきて、砂月は再び本に視線を落とした。
「可愛いって言うな!」
那月を引き剥がそうとしたところで、布団が捲れて自分が上半身裸な事に気づく。下は薄く透けそうな白い生地を何枚も重ねた緩いプリーツスカートを着ているようだった。
よく見たら、髪が腰まで長くてウィッグかと思って引っ張ったら、引っかかってるのか痛くて外せない。
「なんっだ、これ!!人が寝てる間にまた女の格好させようとしてやがったな…!俺の服返せ!」
「え、ええ〜?そんなこと言われてもないよぉ。それにそのスカートも仮縫いだから、あんまり動くと破けちゃ――」
立ち上がろうとして、那月がスカートを踏んづけていたせいで、びりっとスカートに裂け目が入ってしまう。
「ああ…!!もう僕、怒るよ!すっごく似合うと思ったのに!」
「…はぁ!?逆ギレかよ!俺が怒りたいわ!」
「ちゃんと直すからそれ脱いで!」
那月がスカートを掴んでくるから、ずり下ろされないように掴む。
「その前になんか着るもん寄こせっつーの!」
でも、まだ起きたばかりだからかあまり力が入らなくて、あっさりとずり下ろされてしまう。
そうして、自分がパンツまで脱がされていたことを知って青ざめた。次いで、急激に上がる体温に俺は慌てて頭まで布団を被りこむ。
「〜〜〜っ!」
布団の上から背中を揺すられて、能天気な声が聞こえてくる。
「あれぇ、もしかして恥ずかしいの?男同士なのにどうして?」
「…お前…後で覚えてろよ…!」
そんなん、那月にされた色んなことを思い出すからに決まってんだろうが!
つーか、マジで俺のこと何も覚えてねえの?
「翔」
「…んだよ」
砂月が俺のことをまともに名前で呼ぶなんて珍しくて少し驚いた。
「那月と向こうで話があるから、お前はここでじっとしてろ。服はあとで持ってきてやるから」
「え〜う〜ん…すぐ戻ってくるからまたあとでね!」
ベッドが揺れて、2人の体重で沈んでいた分が浮き上がる。
布団から顔だけ出すと、那月がベッドに手をつくから、またベッドのスプリングが大きく揺れる。
「あ、そうだ。こっちは弟のさっちゃんだよ〜」
嬉しそうに言う那月の腕を砂月が引っ張る。
「那月、紹介はいいから、先に話したいことが」
「はぁーい!」
2人が部屋を出て行くのを確認して、大きくため息を吐いた。

俺はアイドルになるために早乙女学園に通っていた。
でも、この部屋を見る限り、部屋の壁紙がドット柄になっているなど、どう見ても学園の寮ではなかった。唯一同じなのは、ぬいぐるみがいっぱいあることだ。
薄い布団を体に巻きつけて辺りを見回せば、一際目を引くのが、ベッドの傍にある1体の等身大人形。大きく胸の開いた白いドレスに身を包んだ少女。ピンクのようなオレンジのようなそんな色をしているボブカットの髪型。大きな黒い瞳。近づいてまじまじと見ても、本物の人じゃないかと見間違うほどの継ぎ目のない、透明感溢れる綺麗な肌をしている。
「いくら可愛いもの好きでも、こんな人形買うとか何考えてんだ…?」
俺が女装してやらないから、手出したとか…?
いや、でもなんでか俺のこと覚えてなさそうだし…小さい頃にヴァイオリンのコンクールで少し会ったことがあるのを忘れてた、なんてレベルじゃない。ただの演技…であるならいいけど、砂月の存在も謎だ。
夢…って夢だと思った瞬間に覚めるっていうよな…?
つーか、七海に似てねえか?
そう思った途端、七海にしか見えなくなってしまって視線を逸らした。
学園で再会したあと、しばらく学園生活を続けているうちに那月は七海のことを好きなんだと思っていた。でも、それは俺の勘違いで、那月は俺に好きだと告白してきた。毎日のように好きだと言われていたから、冗談にしか聞こえなくて、軽く流そうとしたら、真剣な顔でキスされて。
そういえばさっき、砂月にキスされたような…。
頭を振って部屋の中央を見れば、薄いピンクのソファに置かれたいくつものハートのクッションが目に入る。
そうしたところで、ヴィオラの二重奏が聞こえ始めて、そのソファに腰掛けた。目の前に置かれたガラスのローテーブルの奥には、白くて大きなテレビにレースをあしらった布がかぶせてある。寮にあった32型よりももっと大きくて、50はいきそうなほどだ。
目を瞑って、遠くから鳴り響いてくる音に耳を澄ませる。
起きるときに聞いた情熱的な音とは違って、優しくて心から癒されるようなそんな音色。
ヴァイオリンよりも少し低いヴィオラの音が今は心地いい。
曲が終わって、しばらく余韻に浸っていたら、今度は伸びやかで甘美な音が聞こえてくる。情熱的といえば情熱的でも、どこか艶めいた印象を受ける音。
あの2人の音は昔から無条件に聞き惚れてしまう。それは俺だけじゃなくて、誰もがそうだと思う。だからこそ、天才だともてはやされていたんだ。
2曲目が終わって、少し待ってみても音は聞こえてこなかった。
もう1度部屋を見回して、扉の近くにある低めの白いタンスの上に掛けてある丸い鏡を見つける。そこに自分の顔が映って髪の長さに眉間に皺が寄る。いい加減、ウィッグを外そうと鏡に近寄って、引っかかってるかどうか見てみると、この長い髪は頭から直接生えていることに気づいた。それと同時に若くなっている気がする顔やマニキュアが落とされている爪に頭が混乱する。
黒くない爪やピアスがないことはともかくとしても、少し眠っていただけなのに、こんなに伸びている髪が気持ち悪くて、ハサミがないかとタンスの中を探ってみると、あっさりと見つかった。ハサミだけでなく、裁縫道具一式揃っているようだった。よく見れば、床には糸くずや端切れがあちこちに落ちている。
白く大きめのハサミを持って鏡を覗き込んだところで、突然扉が開いてハサミを落としてしまう。
それが足の甲に落ちた瞬間、痛みで飛び退いた。
「いっ……てええ!!」
「翔ちゃんどうしたの!?」
巻きつけていた布団なんかに構ってられなくて、しゃがみこんで足を見てみると、運悪く刃が開いた状態だったせいで一筋の切り傷から赤い血が滲んでいた。
慌てて駆け寄ってきた那月が傷を見て、おろおろとしながら叫んだ。
「さっちゃ、さっちゃん!はやくきて!!血が!」
その声に砂月まで慌てて飛んでくるから、痛み以上に呆気にとられてしまう。
「チッ、上手く出来たかもわかんねえのに早々に怪我なんかしやがって」
そう言いながら砂月は古い本を傍に置いて、俺のスカートの裾を破いたかと思うと、傷に巻きつけていく。
「いだっ…!お、お前な…!」
「これ舐めてろ」
砂月を睨みつければ、口に何かを放り込まれて舐めるどころか、そのまま喉の奥に入っていってしまう。
「ちゃんと効くかなぁ?」
「さぁな…」
「何なんだよ!」
放り込まれたときに喉に当たったのが痛くて涙目になっていたら、砂月がふっと顔を寄せてくる。涙を舐めるように目じりにちゅっとキスされて、顔が一気に熱くなった。
「薬みたいなもんだ。まだ痛いか?」
腕で顔を隠して勢いよく俯くと、足に巻かれたスカートの布が血で滲んでいた。
「い、いた…くねえ?あれ…?」
布を取ろうとしたら、那月に手を掴まれる。
「まだ取っちゃダメです!ねえ、どうしてハサミなんか持ってたの?」
「髪が……鬱陶しい、から…切ろうとしただけだ」
鬱陶しいのもそうだけど、身に覚えのない髪の長さが気持ち悪かったと言う方が正しい。
「そっか〜勿体無いけど、今度ちゃんと切ってあげるね」
「…いや、自分で切るからいい」
「大丈夫!任せて!」
不器用な那月に切られるなんて想像しただけでもぞっとする。
那月が居ないときに自分で切ろう…そう思って、この場では頷いておく。
布団を肩に被って立ち上がっても、ついさっき怪我したのかさえ疑問に思うほど、痛みが消えていた。
「それで、さっちゃんどうする?あまり血は出なかったみたいだけど…」
「…試すか?」
「翔ちゃん辛くない?もう歩いても大丈夫?」
「ん?あぁ…体もだいぶ軽くなったし、なんだったんだろうな」
起きたとき、体が重かったのは眠気や疲労感でだるかったわけじゃない。動こうとしても動かない、だ。
ソファに腰掛けながら問いかける。
「そうだ、俺の服は?」
「必要ない」
答えたのは砂月で、ソファの後ろから那月が抱きしめてくる。
「はぁ?必要なくねえよ!持ってきてくれるって言ったじゃねえか」
ゆっくりと近づいてきた砂月が怖くて、逃げようと那月の腕を退けようとしてもがっちりと抱きしめられてて動けない。足をじたばたさせれば、布団が捲れて短くなってしまったスカートから自分の足が見えてしまう。
「ちょ、ちょっと待て…何する気だ?」
俺の記憶の中の砂月とはそんなに面識がない上に、那月との仲を認めてもらおうとして会うたびに殺されるのかと思うほど追いかけ回されたり、ちょっかい掛けられたりでろくなことがなかったから、分裂している砂月を見ていると本当は少しだけ優しい面があるのかもしれないと思っても、そう簡単に印象は変わらない。
「ひっ!…な、那月やめろって、離せ!」
那月に耳の後ろにキスされて、うなじに吸い付かれる音がちゅっちゅと間近で響いてくる。
「お、俺は聞きたいことが山ほどあんだからな!せめて説明…」
足を押さえ込まれて、砂月がソファに乗りかかってくる。
「ごちゃごちゃうるせえんだよ。大人しくしてろ」
砂月が何かを口に含めたかと思うと、顎を上に向けられてそのままキスされてしまう。
「んんっ…」
受け入れてなんかやるか、そう思って硬く口をつぐんでいると、唇を舐められてそれと同時に耳の中に那月の舌が入ってきて、吸い取られるように力が抜けてしまう。歯をこじ開けられて、丸い飴玉のようなものが中に転がってくると、唇が離れていく。
飴を吐き出そうとしたら、砂月が声を低めて言った。
「今吐き出したら殺す」
理不尽過ぎて意味が分からないけど、とりあえず従っておくに越したことはない、そう思って歯と内側の頬の間に挟みこんだ。僅かに甘ったるい味が口の中に広がってくると、体がどくんと鳴って那月が舐めてくる水音と相まって、体が熱くなり始めた。
「っ……ぅあ…」
勝手に火照り始める体にわけのわからないまま砂月を睨みつければ、砂月は隣に腰掛けてベッドのところで読んでいた古い本を読み始める。
「先に様子を見る。那月も離れろ」
砂月の一言で拍子抜けしそうなほど那月もあっさりと離れていってしまう。
様子って何の…?俺の…?
全身が熱くて、特に下腹部に強い違和感がある。
何もしてないのになんで…。
「はぁい。でもでも、お仕事の合間に急いでお洋服作るからね!」
「……女もんは、いら、ね……ぞ……」
「え〜それじゃあ、僕の服着る?」
那月の方を見ればタンスを漁って、どう見ても俺には大きいTシャツを広げて渡してくると、またタンスの中を漁る。渡されたTシャツを着ようと思っても、体が熱くて勝手に小刻みに震えて、服を強く掴むだけだった。
「新しい下着は女性ものしかないんです…こういうの嫌かなぁ?」
見せられたのはレースがついていて、布面積の少ないものだった。
「ア、ホか…なんで、そんなもん持って、んだよ…」
「翔ちゃんお顔真っ赤ですよぉ?大丈夫?」
髪に触れられて体が大きく跳ねてしまう。
「や、さわ、んな…!」
熱くてたまらなくて立てた膝に顔を埋めて布団と一緒にぎゅっと膝を抱き込む。荒くなる息のせいで呼吸が上手く出来ない。
は、熱い…ほんとになんでこんなことになってんだ。
トイレに行きたい。でも、立ち上がれるとは到底思えなくて。
どくん、どくんと早くて大きい音が苦しくて、汗が滲んでくる。
「ぁ、っ………ぅ…ぁ…」
埋めた膝の間からしゃがみこんだ那月の顔が僅かに見えて、布団で隠れていないことに気づいた時には遅かった。
「あぁ…こんなに濡らしてる…」
秘所をなぞるように触られて、どくん、と一際大きな音が鳴る。
「んぁあ……そ……なつ、…やめ」
どうしてほしいのか、そんなの分かりきってるのに言葉に出来なかった。
俺の記憶の中の那月と砂月と、この2人はあまり変わりがないように思う。でも、まるで俺のことを覚えてないみたいだから、そんなこと頼みたくなかった。
なのに、中に指を挿れられて、体が頭が震えてくる。
もっと奥まで欲しい。口を開けば、そう言ってしまいそうで、硬く口をつぐんだ。
そうしたところで、そもそもの原因が砂月に飴を舐めさせられたからなんじゃないかと、砂月にバレないように飴を吐き出してみる。それでも、火照る体は静まらなくて、ふるふると小刻みに震えるばかりだ。
「翔ちゃん…辛いの?イきたい?」
那月は言いながら指を引き抜いたかと思うと、何かを秘所にあてがって、ぐっと中に押し込んでくる。
「あ、あああ…っ!!!や、那月、はっ…あぁ…!」
やってくる快楽にびくびくと震えてきて、それを必死に押さえ込もうとしていたら、2本の指まで飲み込んで、ぬちぬちとした水音が響いてくる。
「翔ちゃんの中すっごく熱い…さっちゃん、翔ちゃんとえっちしてあげて…?」
「な…!?ぁ…っ…い、嫌だ!…しない、絶対いやだ……!」
何で那月じゃなくて砂月なのか、なんてそんなことじゃない。
砂月は俺のことを好きでも何でもないのに、そんなの、ただの肉欲でしかないじゃねえか。
「随分嫌われたもんだな。お預けにしたのが悪かったか?」
指を一気に引き抜かれて、強張っていた体が少しだけ楽になるかと思ったのに、視界が反転して、砂月に組みしかれてしまう。
「よかったね、翔ちゃん!」
「よくね――」
言葉を塞ぐようにキスされて、砂月の胸を叩くけどあまり力が入らない。
「ふふっ、僕はお仕事あるからアトリエに居るね〜」
さっきも言ってたけど仕事って何だ?アトリエ…?
そうして、閉まる扉の音に体をびくつかせれば、舌が滑り込んできて硬く目を瞑る。
「んんっ」
舌を噛んでやろうと思っても、顎を持って口を開けさせられてて上手くいかない。熱い舌を重ねられて、吐息まで熱くて、ただでさえ体が熱いから涙が滲んできてしまう。少し力が緩んで離れそうになっても、砂月を強く押し返せなかった。
那月に渡されたTシャツを退けられて、布団まで剥がされて、腰辺りに砂月の手が触れて体が大きく跳ねた。そこが熱を帯びて、更に下に滑ってきて、スカートを強引に破かれてしまう。
やっとで唇を離されて、荒く呼吸を繰り返す。
「はっ…嫌、だって……言って…あぁっ…!」
軽く握られただけで達してしまいそうで、たまらない。
「やめっ…やだってもう、砂月…!うぁ…」
「…お前、やっぱり俺のこと知ってんだな。俺のこと、というか俺らのこと、か」
「ど、う…いう意味…」
「名前。那月は俺のことをさっちゃんとしか言ってねえのに何で知ってる?」
「何でって……あっ…んぅ…お前らが俺の、こと…覚えて…ないだけだろ…!」
やっとでそう言えた瞬間、砂月に強く扱かれて達してしまう。
「ぁああんっ――!!」
「はっ…善い声で啼くじゃねえか。これのどこが嫌だって?」
1度で収まらない熱がまだ燻っていて、先を親指でぐりぐりと刺激されて背筋を大きく反らした。
「ひぁっ…ぁああ…!!」
足を持ち上げられたかと思うと、秘所にもう片方の指が挿ってくる。
「ん、はぁ…ああ……ひぁっ…!」
那月に入れられたものが出そうだったのにまた奥に入ってきて、探るように動く指が気持ちよくて縋り付いてしまいたくなる。
「ふざけんな…俺は1度だって忘れたことなんかねえ」
いやらしい水音を響かせながら入り口を擦られて、びくびくと足が跳ねる。
「っ嘘、つけ!…ん…っ………ぁっああっ…!!」
頭を横に振っても砂月は離してくれなくて、痛いほどの快楽が走って勝手に涙がこぼれてくる。
「ただ、お前はお前であってお前じゃねえし、俺たちもお前が知ってる俺たちじゃねえんだろ」
「ひぅ…ぁっ…んだそれ…ああぁ…」
砂月が舌打ちしたかと思うと、指を引き抜かれて俺のものからも手を離してくれた。
「はぁ…はぁ……ん、はぁ…」
大きく息を吐いて、開放してくれたのかと思っていたら、カチャカチャとベルトを外す音が聞こえてきて、肩がびくつく。
砂月の持ち上がっているものが目に入って、それを奥まで突かれたときの快楽が想像できて身震いした。
「さっきまでの威勢はどうした?すげえ物欲しそうな顔してんぞ」
喉が鳴って、砂月の言葉通りだから否定できなくて、堪え切れなかった。
「……奥まで――」
言い終わる前に一気に中を突き上げられて、背筋から顔までを目一杯反らした。
「ぁぁあ…っは……ぁっ……あぁあ……っ…!!」
砂月の荒い吐息といやらしい水音、腰を打ち付ける音が俺を煽ってきて、どこを突かれても擦られても感じない場所がないほどに強い快楽だけが俺の頭を支配する。
「あっ、はっん……ひ…ぁあああ…っ!!」
呆気なく達しても、容赦なく突かれる快楽の波にただただ酔うことしか出来なかった。
止め処なく漏れてしまう自分の声を抑えようなんて気にもならなくて、砂月は眉間に皺を寄せて口角を上げている。いつもと表情は変わらないはずなのに、砂月から零れ落ちる汗の強すぎる色香にまた涙が出そうだと思った。那月にもたまに感じることはあるけど、砂月の存在そのもの…ただ、傍に居るだけで堕ちていってしまいそうな、そんな妖しさが砂月にはある。
俺はどうにかして、那月との仲を砂月に認めてもらおうとはしていた。
でも、今はっきりと分かった。俺は砂月も欲しかったんだ。
「…んぁ、ああ…ぁあ…っ……はぁ…ん……さつ、……っ砂月…!」
手を伸ばせば、砂月が頬にキスしてくれて、砂月の首に腕を回す。
「……たまんね……っく…」
強く突き上げられた瞬間、砂月がくぐもった声を出して中に熱い精液が吐き出されて、また俺も達してしまった。
「ぁああぁ……っ!!」
熱すぎてもう何がなんだかわけがわからなくて、砂月を抱きしめる力を強める。
「声出すのは構わねえがでかいんだよ…耳いてえ」
「…そんなの、知るかっ…!勝手に出るんだから仕方な――」
唇を砂月のそれで塞がれて、入ってくる舌に自分の舌を重ねれば、砂月が目を細めて上顎を舐めてくるから気が抜けてきて、あとは翻弄されるがままに深くキスされるだけだった。

隣で眠る翔の長い髪を梳きながら、ため息を吐く。
眠っている翔は僅かでも寝息を立てていなくて、人形のようだ。
ただ、実際に人形なのだから、その表現は間違ってはいない。

翔は…那月が両親から学んだ人形師の技術を使って作った、等身大人形だ。

事の発端は那月が趣味で始めた、等身大人形をインターネットで販売しているサイトに、ある依頼が入った。
そのサイトはいわゆる…性欲処理にも使える等身大人形の販売を主としている。那月によれば、よりリアルな可愛らしさとやらを追求した結果らしい。
女の人形を作っているサイトでも、物好きな輩が男にしてほしいと注文してくることがある。それだけならまだたまにある話で値段によって受けることもあるのだが、多額の報酬だったために、より良い素材で作れると那月が一つ返事で受けてしまったことだった。

両親が生業としていた人形師という家業。
幼い頃から、その技術を叩き込まれ育った双子の兄である那月は、その技術を磨く傍ら、同時にヴァイオリニスト目指しているため練習を1日も欠かしたことがなかった。その成果か、コンクールに優勝するなどの成績を収めている。その夢を応援するために、俺が家業を継ごうと人形師の技術を磨くと共に、那月と一緒に演奏したいがためにヴァイオリンも学んでいた。

俺たちが中学3年になった頃に翔が引っ越してきてヴァイオリンのコンクールで出会い、仲を深めて恋人にまでなっていた。と言っても、どちらかというと、俺たちの中に翔を巻き込んだという方が近いのかもしれない。俺と那月は、兄弟だけどそういう関係だったから。

家は日本では珍しく洋館作りの広い家で、庭には針葉樹が植えてあり、いかにも幽霊が出そうだと付近の噂になっている。人形がたくさん置いてあって、1度遊びに来た友人は不気味で怖いからと、誰も家に入りたがらなかった。両親が北海道へ行ってからは人形の山は地下に移動させてはいるが、それほど世間から孤立した家が3人の隠れ家のようで俺は気に入っていた。

それなりに幸せだと思っていたある日、翔が高校生になった頃…今から3年ほど前に翔は事故で亡くなってしまった。それから那月は翔の記憶を封じ込めた。俺も翔の写真を全て隠したり、話題に出さないよう注意して思い出させないようにした。だが、那月は楽器を弾きたいという思いはあるのに、ヴァイオリンに拒否反応を示し「ヴァイオリンはダメだけどヴィオラなら大丈夫だし、ヴァイオリンを全部忘れたいわけじゃないから」とヴィオラに転向して、俺たちは音大に入った。

それから、那月はヴィオラの練習の合間に趣味として人形作りに励むようになり、あの問題の依頼が入ったのだ。
依頼の前金半額を受け取ったとき、更に条件が追加され、顔の造形を指定されて、添付されていた写真に俺はしまったと思った。その添付されていた写真が翔だったのだ。まだ幼さが残る、出会った頃の写真。
その写真は女にも見間違える顔なのに、わざわざ男に指定しておきながら、更に髪の長さは腰までという異質な注文に俺は腸が煮えくり返った。
俺たちの翔を汚そうとするやつなんかに渡さない。そう思って、那月に返金させて断らせようとしたら、すでに那月は嬉々として人形を作り始めていた。それを見た瞬間、俺は那月の作っている人形を投げ捨てて、怒鳴りつけていた。元々可愛いものなら男でも女でも構わない那月は俺が怒っている意味が分からなかったんだろう。俺は滅多に那月を怒らないのもあって、那月は癇癪を起こしたように泣き喚いた。
結局、翔のことを思い出させて辛い思いをさせるのももうたくさんだったのと、契約が済んでいたせいでちゃんとした説明が出来ない俺が折れるしかなく、何事もなく取引が終わるのを待ち望んでいた。

それから人形は2ヶ月ほどで出来上がって、衣装を作り始めたころ俺は賭けに出た。

家業で代々人形師をしているから、それに関する書物はたくさんある。
那月は日本語と英語、フランス語の本は読破しているが、ドイツ語の本は苦手でほとんど読んだことがない。だが、俺はドイツ語の本で「人形が動く」という記述があるのを知っていた。お伽話だと信じていなかったが、翔が完成して那月と2人でヴィオラを演奏しているときに、興味本位でそのドイツ語の本に載っていた人形を動かすための譜面…メロディラインの一部を乗せてみた。それに呼応するようにアレンジする那月。
人形を動かすには、人形の製作者と奏者が同じでなければならないことと、その演奏に人形までもを魅了する力があるか。

俺は驚いたフリをして那月を誘導し、人形を、翔を動かすことに

――成功した。

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