煌びやかな花街。そこに売られた獣憑きの少年はある男たちと出会う――。
翔受け(龍翔・那翔砂翔・レン翔)書きたかった要素を混ぜた結果、見世物小屋+男娼…とかそういうアレです。
一応、現代の設定。源氏名もなければ、くるわ言葉もなし。音也は安定のビッチ設定で一瞬しか出ない。林檎ちゃんも月宮姉さんとして存在する。妖しい雰囲気は皆無。にゃん転がし。
レン翔はちらっと、モブ翔表現もちょびっと。男気は消えてます。
大丈夫な方のみ、ご覧ください。
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――突然変異で極々稀に生まれることがある、動物の耳や尻尾が生えた人間のことを総じて、獣憑きと呼ぶ。
獣憑きはその親によって、天からの贈り物だと可愛がられる者も居れば、その真逆で災いや、単純におぞましいと思われる対象であるなど様々だ。
かくいう俺も人と同じ耳ではなく猫の耳があり、尻尾が生え、猫手なんかをしているために、家に閉じ込められ、後者の扱いを受けていた。
こんなものなければいいと毛を毟れば、怒鳴られて泣き腫らし、煩いとまた怒鳴られた。
これから色んな意味で泣くことになるなど、強引に連れて来られたところに売られるまで知りもしなかった。
***
からんころん、からんころん。
耳を澄ませれば、行き交う下駄の音、酒やお香の匂い、ざわつく声の中に微かに聞こえる嬌声。
花街の中で最も奥に位置するここは、獣憑きが売られてくる見世物小屋。
ただ、ここは獣憑きの中でも男を扱う遊郭――陰間茶屋であり、家に居てもまるで殴られるためだけに存在しているかのように扱われるのとどちらがいいのか、答えは明確だった。
「やぁ……ぁ、ぁ…」
香油の匂いが鼻腔を掠め、布団の上で四つん這いの姿勢のまま、着物から曝け出されたそこをくちゅりと骨ばって太い指が入り込んでくる。
「慣らしても慣らしても小せえままだなぁ…」
お尻に吐息の掛かる距離でそう呟くのは、俺の世話役である龍也さんだ。
ここに売られた当初、用心棒と雑用でしかなかった龍也さんに懐いてしまったせいで、龍也さんは俺の世話役を任されるようになってしまった。
ほかの獣憑きには特別、そういった世話役は居ない。
理由はたぶん、俺の猫手にある。第二間接から曲がって動かない指は皮膚がくっついているわけではなく、手の指の第一関節と第二間接に間接そのものがない。例えるなら一本のパイプを筒状のままコの字に折ったような形から動かすことが出来ないのが猫憑きにとっての普通。
そのせいで、ただの子供でしかなかった俺が食事、風呂、着替えなど親から教わることも、与えられることもなかったために、龍也さんにとってもとても見ていられたものではなかったんだろう。
当時の俺からしてみれば、同じ部屋にずっと居ても怒られない人は初めてで、単純に嬉しくて深く考えていなかったけれど、今でも変わらず、その全部が仕事だと言って、龍也さんは当たり前のように俺に与えてくれる。
それがどんなに心に安らぎをくれたか分からない。本当にただ、嬉しくて、普通の家族ってこういうもんなのかなっていつも思うんだ。
一度、指が抜けて息を吐く。
水揚げまで日が浅いから、ここ最近は毎日、少しでも慣らそうとしてくれている。
仕事でも龍也さんは優しくしてくれるし、いい男だし、俺の初めて、もらってくれないかな、と淡い思いを抱いていたこともあった。でも、龍也さんが品物に手を出すわけがないから口にしたことはなかったし、指でも痛いのに到底入る気がしないことを自分から望むなんて出来はしなかった。
「いだっ!」
何の合図もなしに増やされた指に、思わず声が飛び出した。
「んな低い声、出しちまったら白けられちまうぞ?」
「あぅ、ぁぅ…だって、……きもちーとこ、してくんないから…」
小さく腰を揺らしてみるも、指は変わらず解すように動くだけ。
「甘えたってしてやんねえよ。にしても、締まりが良くっても、入んねえなら意味がないからな。まぁ、相手に嗜虐嗜好のない奴ってのはこの店の前提事項だから慣らしておけば痛みは少なくて済む。我慢するんだな」
三人ほど店が決めた中から自分で選ぶことが出来る、初めての相手。
俺にもそれぐらいの権利は一応ある。
尻尾で龍也さんの頬を撫でると、いいところを引っかくようにして引き抜かれた。
「ひぁあ………うう…いきなり…!」
「注文が多い。いつ何をされても対応できるようにしねえと振り回されっぞ」
そう言いながら、弄っていたところを紙でふき取ってくる。
こうされるたびに、用を足したあとの処理をされているような気にさせられて、弄られているときよりも高い声が出てしまったときよりも、恥ずかしくて布団で頭を隠した。
「尻が隠れてねーぞ?」
「……香油あるし…仕方ねーだろぉ…りゅーやさんのえっちー」
ったく、と言いながら香油などを持って出て行ってしまった。
ここは龍也さんの部屋だから、自分の部屋である大部屋に戻らなければならない。
でも、もう少しこのままで居たかった。
歳が足りず、客を取っていない獣憑きが上がる座敷はただの見世物小屋だ。
赤く塗られた木の格子の中、優しそうで年老いた人が入ってきては「にゃあ」と鳴き、こてっと首を傾げてみせる。
そうすれば、お前は可愛いから、水揚げ前に身請けしてくれる奴が現れるかもしんねえな、と龍也さんが言っていた。
強面やいかにも、ヤのつきそうな人が現れると隅っこで縮こまってやり過ごし、毎日必死に媚を売る。
それなのに、俺に身請け話なんて一度だって来たことがなくて、他の獣憑きにはない猫手がどうしてもネックになってしまうんだろうと自分を納得させるしかなかった。
それに身請けの話だって来ればいいってものじゃない。
まだ見世にしか出ていないときに買われるということは、相手を知る時間もなく、否応なく話を進められてしまうからだ。
色を売るための座敷に上がれるようになって売れっ子になれれば、その相手を選り好みできるようになるのは大きいけれど、そこに至るまでに色んな男に組み敷かれ、いいように扱われて。
例え、水揚げ前に身請けされたとしても、花街での取引なのだから、その相手に抱かれる余生を送ることになることには変わらない。
相手をする人数が多いか少ないかの違い。
ここに売られてしまった時点で、純真なまま浮世に戻れるわけがなかった。
そもそも、獣憑きなのだから、人間と同じ扱いを受けられる方が珍しい。
誘拐され研究所行き、または闇取引に出品されるなんて、遊郭の運営が再度認可されるようになった現代においてよくある話らしく、中にはここに売られて運が良かったと言うやつも居るほどだ。
俺だってついこの間まではそう思っていたけれど、水揚げが迫っている今、なかなかそうは思えなかった。
大した収穫もなく、とぼとぼと見世から降りたそこは広い日本庭園があり、更に奥に妓楼がある。
高い木の塀で囲まれた庭は獣憑きが色目で見られることからの客への配慮。
見世物小屋の隣には、客を取るための張見世があるけれど、その格子は通りに面しておらず、全て小屋の中で隠すように存在している。花街に住んでいても、どんな人間がここで働いているかなど知りもしない人間は居る。
「そうしょぼくれたって良いことなんかねえぞ?」
妓楼までの途中、庭をぶらぶらしていたら、龍也さんが声をかけてきた。
「俺、全然売れる気配ない……前に来たやつはあっさり売れてっちまったのに…」
かわいいかわいい言いながら小遣いやお菓子をくれる人も居るけど、本当に見世物にされてるだけだった。
ふいに龍也さんの手が伸びてきて、俺の頭に生えた猫耳をくにくにと刺激してくる。
龍也さんにとっては撫でるついで、らしいけど、そこは。
「ん…」
耳を澄ませれば人よりは多少聞こえがいいぐらいで、あとは、気持ちよくなってしまう、ところ。
「見世に出てるとき、誰かにここ触ってもらったらいいんじゃねえか?」
「や、やめろよな…!見っとも無い顔になるだけだ!」
手を振り払ってきっと睨めば、龍也さんは笑いながら頭を一撫でしてくる。
「団子貰ったんだ。食うか?」
「やった!食べる!!」
上機嫌で龍也さんについて行くと、見世の方から「かわいい」という声が聞こえてきた。
そう思うなら、誰か一人でも身請けしてやれよな…。
「げ、櫛団子」
龍也さんの部屋で振舞われたのは甘いタレがたっぷりかかった、みたらし団子だった。
「そんなこと言うやつにはやらねえぞ?」
すいっと後ろに下げられてしまって、慌てて手を伸ばす。
伸ばしたところで、この手じゃ包みを掴むことは難しくて、掴めたとしても落とす可能性の方が高かった。
そんな手だから、団子は好きでも櫛団子は好きじゃない。
「うそうそ!つーか、龍也さん甘いもの苦手なんだし」
「なら、食べさせてくださいって可愛らしく言ってみろ」
お菓子をくれるとき、龍也さんはこうしてお預けを食らわせてくる。
元はといえば、楼主が俺を売るために指導されたことだから、あくまで客に対しての練習の一環ではあるのだけど、「可愛く」という注文が毎回気に食わない。
でも、ちょうど夜食の時間帯で小腹が空いてきているのには違いないし、正直今更でもあった。
そういう役になりきればいいんだと、ここに来てから教えられたこと。
四つん這いで胡坐を組まれた膝まで乗り上げて、小さい子どものように、龍也さんの服を引っ張ってねだる仕草。
「りゅやさんの、それ、たべたい。……な?ちょうだい?」
楼主の指導通りカタコトで話して小首を傾げ、だめ?と上目遣いをすれば、龍也さんがふっと笑った。
「ま、いいだろう」
「……おれ、じょうず?」
言いながら口元まで持ってこられた、みたらし団子にかぶりつく。
元々、獣憑きは幼い頃に教育を受けさせてもらえないことの方が多く、頭が緩いやつは割りと居て、俺だってここに来た頃はカタコトでしか話せなかった。
そういう意味では、ここに売られた頃は全てが新しくて、俺には龍也さんや仲間が居たし、そこまで悲観的になることもなく過ごせて来れたんだ。
「もう少しバリエーションを持たせた方がいいが、お前にそう言われて落ちないやつなんか居ないだろうからな」
素直に喜べない褒め言葉とみたらしの甘いタレとは反対に、どうしてもモヤモヤしたものが沸いてくる。
俺はここで何年売れ残ってると思ってるんだ。
今だって、客を取ってる獣憑きはそう多くなくて、大概が色を売り始める前後に身請けされていってしまうのに。
もうそこまで水揚げが迫ってるって分かってるけど、段々と昔と同じ気持ちで食べさせてもらうことが出来なくなっていくようだった。
見世物小屋の営業時間はそう長くない。
花街に存在しているここは、昼間に客などほとんど居ないため、夕方の五時から零時までの間だ。客を取る張見世の方は同時刻から深夜二時過ぎまで。
いつものように龍也さんに支度を整えてもらって、見世に上がってすぐに客が入ってきた。
早い時間から見に来る人は身請けする確率が低いと俺は思っている。
たまに身請けすると決まった人が迎えに来ることがあるけれど、決まって年寄りが多かった。
そして、ついさっき入ってきた客は、初めて見る背が高くて若い男。
普通の洋服を着ていて、手には紙袋を提げている。
身請けされたがっている仲間は我先にと声をかけ始めるけれど、若い男なんて金があるとは思えなかった。
『見世物』を楽しみに来ているだけ。
ここは一種の動物園と一緒だ。
俺以外にも犬、ウサギ、狐、たぬき、ねずみ、リスなどの獣憑きが居る。
不本意ながらよく可愛いと言われている猫の俺やウサギ、狐なんかは逆に身請けされ辛いんだと誰もが口を揃える。
その理由は誘拐のリスクが高いかららしく、実際に現在の太夫は兎憑きと狐憑きだ。二人は身請けという話も聞かないし、前にここに居た猫憑きも長い間、売れ残っているうちに太夫になったらしい。
このままじゃ、俺だって太夫とは言わなくとも、同じように売れ残ってしまう。
若い男は変わらず、格子に張り付いて嬉しそうにこっちを覗いている。
こんな客は珍しくもないけれど、身請けされなくとも、落ち着いた雰囲気の客と馴染みになった方があとが楽かもしれないから、隅っこに隠れてやり過ごそうと思ったのに。
「あ、見つけましたぁ…!猫さん僕とお話しましょう?」
今の花街に猫憑きは俺しかいない。
行灯があっても薄暗いのに、夜目が利かない人間が奥に居る俺をよく見つけられたもんだ。
これも仕事だ、と小首を傾げて、にゃあと一鳴き。
手招きされて行かないわけにもいかず、そろそろと格子に近づく。
「ふふ、猫さんお名前はぁ?僕は那月って言います…!」
「……にゃつき…?おれ、しょう」
微笑んで、こてんと首を傾げてみせれば、男――那月の表情や肩がぐっと上がり、口を開閉させた。
「か、か、かわいいです…!!」
「かわいくない、ばーか、あっちいけ…!」
ふん、とそっぽを向くと、那月はますます歓声を上げた。
簡単に騙されてくれるのは楽だ。
相手が表情豊かで優しそうだから出来ること。本当に分かりやすくて助かる。
そう思っていると、ごつんという鈍い音と一緒に唸る声に驚いて格子を見ると、格子の中に伸ばされた手がゆっくりと引っ込んでいく。そうして、遅れてカシャンという音が響いた。
途端に、那月を纏う雰囲気が一変し、ひんやりと冷たいものが背筋を伝う。同時に、第六感や夜目が利く仲間たちは血の気が引いたように飛び上がった。
雰囲気もそうだけれど、何より瞳が鋭いものへと変わっている。
那月は再度、辺りを見回して目が合うと、見張りの方を振り返った。
「こいつ、買いてえんだけど」
唐突過ぎる身請け話に格子に飛びつくと、見張りがやってきて、那月を連れて出て行ってしまった。
金持ちだったのか?
それとも、一晩だけってこと?水揚げが済んでないって知らない?
でも、俺、こいつに貰われて大丈夫なのかな…。
優しそうだったのに、声のトーンが明らかに低くなってたし、どうみても別人のようだった。
話はどうなったんだと、耳を澄ませてみる。
「――水揚げまだなんだよな?その辺、どうなってんだ」
身請けじゃなかったのか、水揚げの話でため息を吐いた。
初めて俺を買いたいって言ってくれた人が現れたのに。
身請けするほどの金はなかったってことなのかな…。
「話、決まるといいな」
そう声をかけてきた友達に曖昧に頷くと、那月が戻ってきて紙袋を掲げた。
「これ、那月がお前に」
格子の下部は贈り物を渡すために開けられるようになっていて、そこから紙袋が入ってくる。
「…?」
おずおずと手を伸ばすと、その手を取られて握り締められた。
それぐらいなら見張りに何も言われないけど、冷たい那月の手が力強くて少し痛い。
見上げると、さっきの鋭い視線から少し切なげな表情に変わっていて、僅かに微笑んだかと思うと那月はメガネをかけた。
すると、翡翠色の瞳がみるみる見開かれて、那月が「わっ」と声を上げた。
そして、今度は俺の手を見てふわりと微笑んだ。
「本当に猫さんのお手手なんですね〜」
柔らかで明るいトーンの声で、ふにふにと手の平を触ってきて、指を開こうとしてくる。
瞬間、痛みが走って、じわりと涙が滲んできた。
「いにゃ、だめ…!」
「ご、ごめんなさい…そこまで痛がると思わなくて…」
手を撫でながら、那月まで泣きそうな顔で謝ってくる。
割と、いや、結構力入ってた気がするけど、他意はない…?
「えと、そうだ、これ受け取ってください。気に入ってくれるといいんですけど…」
ぱっと手を離されて、機嫌を取るように紙袋を俺の方に寄せてくる。
それを両手で挟んで立て、中を覗き込んだ。
入っていたのは猫のぬいぐるみ。俺と同じ金の毛で、青い瞳をしていて、タキシードを着ている。
別に嬉しくはないけど、ここで喜ぶのが仕事だから。
「これ、俺ー?かっこいい?」
両手に挟んで持ち上げると、那月は俺とは真逆のことを嬉しそうに言った。
「はい、とっても可愛いです!」
「かっこいいて言え!」
頬を膨らませると、より一層可愛いと言われるだけだった。
それから那月は見張りに促されて、また明日来ますから!と名残惜しそうに何度も振り返って、帰っていった。
見世物小屋は入ってから三十分程度の時間しか与えられないし、延長も認められていないから、すぐに帰る時間はやってきてしまう。
一人の人間と仲良くし過ぎると他の客との示しがつかなくなるからだそうだ。
それにしても、身請けの話どうなったんだろう。水揚げの話も。
どっちに転ぶかも分からないし、どっちもないかもしれない。
そんなこと言われたの初めてだし、どうしても気になってしまう。
妓楼に戻って、早速龍也さんに身請けしてくれるってやつが居たと話すと、聞いてねえぞと困ったように笑った。
「ほんとだって…!」
「……流れねえといいけどな」
わしわしと頭を撫でられたかと思うと、急に横に抱き上げてくる。
こういうときは決まってお風呂だ。
楼主の命令でこういう扱いをしなければならないらしい。理由は不明だが、そういう趣味なんじゃないか、と龍也さんは言っていた。
「今日も今日とてお姫様だね〜翔!」
ひゅーと口笛を吹いて、音也が声を掛けてくる。
音也は俺よりも前からここに居る犬憑きで、性格も犬っぽく明るくて人懐っこい。
学年でいうと同期になるけど、音也の方が誕生日が早いから、一足先に客を取り始めてしばらくが経過している。
「ふふーん、俺様にもついに身請けの話が来たんだぜ!」
「マジで!俺に来るのにおかしいって思ってたんだよなぁ。へぇ〜良かったじゃん!」
音也は身請け話がきても、相手が気に入らないのか毎回蹴っている。すぐに話を進めたがる楼主がよく許してるな、と思うけど、どうやらそれ以上に稼いでみせるからと押し通したらしい。
天職かもなぁって言ってるのを聞いたときは、そんなに善いものなのかと思った。
「でも、龍也さんは複雑なんじゃない?こんなに可愛がってるのに身請けされちゃったら」
音也の言葉にちらりと龍也さんを窺うと、世間話をするかのようにさらりと言った。
「んー?いい奴に貰われてってくれるなら、それでいい」
そう言うだろうと思ったけど、なんとなく面白くない。
「大人な意見!」
「大人だからな」
龍也さんが流すと、音也は「ふーん」とふさふさな尻尾を振って去っていった。
よっと、掛け声をつけて体を持ち直されて、龍也さんの方に凭れ掛かる。
水揚げを目前に控えた今、音也のようにここに売られてよかったとまでは思えないけれど、龍也さんに会えたことだけは宝物だった。
「なつき、俺のこと、貰ってくれんのかなー?」
「なんだ、気に入ったのか?」
「別に〜……でも、そんなこと言ってくれた人初めてだから、嬉しいなって」
これは本音だ。
でも、龍也さんと会えなくなるのが嫌なのには間違いなくて、龍也さんも一緒に連れてってくれないかなとずっと思ってきたことでもあった。
大浴場とは別のこじんまりした檜風呂。
こっちの方がお湯の温度が低いというのもあるけれど、理由は別にある。
龍也さんは作務衣を着たまま、俺を後ろから抱きしめるように膝に乗せて体を洗ってくれる。
わざわざそうしなければならないほど狭いわけじゃない。
スポンジで優しく体を擦られて、体全体に泡がいきわたると、一日の中で一番の難関がやってくる。
「にゃっ…!!ぁぁ、りゅやさん、だめ……ぁんん…!」
尻尾の毛を掻き分けるように洗ってくる手に体が反応して、浴室に声が響いた。
子どもの頃はこんな風じゃなかったのに、思春期を迎えてから自分のそれよりも感度が高まってしまって、イスから転げ落ちたときに頭を打ったから、こんな格好で洗われるようになったんだ。
膝に乗せられた体がずるっと滑って、勝手に反れる顔のせいで龍也さんとばっちり目が合ってしまう。
でも、そんなのはいつものことだから龍也さんは表情を変えず、落ちないように支えながら、淡々と洗っていく。
「ぁ、ぁう……きもち……りゅやさ、ぁぁあ…」
万歳するように龍也さんの首に腕を回せば、耳の付け根が龍也さんの胸にぐりぐりと当たって気持ちよくて、自分でも体の熱を高めていく。
どうせ俺がイくまで終わらないし、龍也さんの前で達することが恥ずかしいという気持ちはもうなかった。
これは、ただの、日常のひとコマ。
勝手に反応する体のせいで、ついでに処理をされるなんて毎日のように経験していることだった。
「今日は風呂でやるから」
何かと思ったら、尻尾を離されて指が秘所に滑り込んでくる。
「ひぁ…!」
そんなところを弄られても気持ちいいとはまだ言えなくて、耳や尻尾の方が分かりやすく気持ちがよかった。
「猫って大変だよなぁ」
「……大変、なのは…りゅ、やさん……だろ…」
風呂だけじゃなく、こんなことまでさせられているんだから。
「そうでもねえけどな。一度、試しに挿れてみるか」
「龍也さんの!?」
飛びつくように聞くと、龍也さんは苦笑した。
「違う違う。これだ」
緊張して、早く揺れてしまう尻尾に触れてくる。
「え、あ…?」
そんな間抜けな声から、ただの嬌声に変わるのは早かった。
猫憑きの尻尾は普通の猫よりも硬いんだと龍也さんは言っていたけれど、こりこりと指で刺激されると。
「……ぁぁ、そ…の触りかた、やぁあん…」
そのまま泡がついた先端を洗い流し、香油ではなく、桶に入ったぬるぬるした液体に尻尾の先を浸けられてしまう。何か入れてるなとは思ってたけど、初めからする気だったんだ。
指が抜けて、秘所に尻尾を押し付けてくる。
「そなの、入んな……やだ、待っ………や、ぁあっ…!!」
中に押し込まれるのと同時、びくんと背筋が反れて、締め付けで尻尾から強すぎる快楽が体を駆け抜けた。
お腹に乗った泡が滑り落ちて、勃っている自身の向こうに輪を描く尻尾がびくびくと震えているのが見える。
「あぅ、あ……抜く、抜く…やらぁ…」
首を横に振ってもその分、耳から快楽がやって来るし、更に中に押し込まれて自分のものが弾けそうだ。
「猫憑きってえのは全てが敏感なんだ。だから、客には尻尾に触るなと念を押してある」
前に根元から先端まで全部が性感帯で弄られると狂ってしまうから、客が尻尾を触ったら契約違反になると教えてくれたけど、もう十分、この味を知って狂わされているのだから、これから客に触られるようなことがあったって同じだ。
「じゃ、こなこと…しなくてもっ……んぁぁ…」
ぐちゅと引き抜かれたかと思うと、また押し込まれて。
「痛みは?」
「ない、う、うう、きもちーから、やっ…!」
「そういうときは、もっとしてとねだれって教えただろう?」
熱くて狭いと言われた理由が今なら分かる。
段々と、中の気持ちいいところがしこりのようになっていることに気づいて、自分で動かせば自慰ってものが出来るんじゃないのかと思ったけれど、黄色のそれを出し入れされるたびに、びくっと尻尾が揺れて視界がチカチカと白く光った。
「だってぇえ……ん、あんっ………は、ぁぁっ……も、らめ、――っ!」
そう声を上げた瞬間、手で口元を塞がれて熱を放った。
ゆっくりと抜かれていくそれに身を震わせて、息を吐く。
自分の尻尾を挿れて達してしまうなんて、なんとなく俺の初めてが龍也さんに貰われていったような気分だった。
あれからも那月は毎日のように、ぬいぐるみやお菓子を持ってきてくれるようになった。
でも、俺はまだ個室をもらっていなくて、雑魚寝状態の大部屋にぬいぐるみは場所を取って困るようになってしまった。
もうすぐ自分の部屋をもらえる予定ではあるから、あまり文句を言われていないけれど、次受け取ったら捨てられてしまいそうだと、背中に突き刺さる視線から察した。
「翔ちゃんは猫さんが一番喜んでくれるので迷ったんですけど、今日はウサギさんにしてみました!」
そうして、紙袋が差し出されはしたものの、素直に言ってしまった方がいいかと口を開く。
「あんな…置くとこもうない。もらっても捨てられそう」
「そっかぁ…」
しゅんとする那月に対して、どことなく背中に刺さる視線が和らいだ気がした。
「でも、翔ちゃんなら守ってくれますよね…?」
にっこりと微笑む那月に、目が点になってしまう。
流石にぬいぐるみに対して仲間意識は持てなくて言葉を濁すしかなかった。
「翔ちゃんのお座敷に上がったとき、一つでも減ってたら怒りますからね!」
「理不尽過ぎんだろ!」
思わず、ついて出た言葉に慌てて口を抑える。
「翔ちゃん?」
小首を傾げる那月は俺が言ったと分かってないのかと思ったけど、不思議そうな顔をしつつ、こっちを見ていた。
「うう…持って帰ってくれたら、なつきんとこ行ったとき会える」
「あ…そうですねえ。ナイスアイディアです!」
初めて那月が来た日以来、身請け話が一切出なかったのもあって、那月が一瞬、動揺したのが分かった。
俺の座敷に上がったとき、ぬいぐるみが揃ってなかったら怒るって、それはつまり身請けは流れてしまったということだ。
温かい手でそっと俺の手を包んでくる。
那月は俺の指の鍵になっているコの字の間に小指を入れるのが好きみたいで、するすると指の腹を擦ってくる。
でも、猫手の俺は物を掴み辛いために雑用さえ免除されているほど、物に触れる機会が少ない。だから、その分そこを撫でられるとくすぐったくて、気持ちよくなってしまう場所でもあった。
「んっ…!」
引っ込めようとしても手首を掴まれてて出来なくて、那月はうっとりとした表情のまま、なかなか止めようとしない。
「ふふ、ここ、ほかの人に撫でられたことありますかぁ…?」
「……ない…なつきだけ…」
龍也さんが綺麗に洗ってくれるぐらい。
こんなんじゃ、売られるはずだよなって自嘲するしかなかった。
「も、やぁ…!」
「ごめんね、翔ちゃんがあまりにも可愛くって…」
那月は申し訳なさそうにするわけでもなく、手を握ったまま笑顔を浮かべている。
大量に貰ったぬいぐるみもそうだけど、花街に来る人はほぼ全員がそういうことを目的としている人で、すぐに抱けない見世物小屋の子ども相手に熱心に通う人はあまり居ないから、那月は他の客よりも俺のことを気に入ってくれているんだと伝わってくる。
ぬいぐるみが欲しいわけじゃないけど、身請けされなくとも、水揚げの相手が那月だったらと思うぐらいには嬉しかった。
那月はミルクティー色の髪を揺らして、俺の背後に視線を送った。
「翔ちゃんは猫さんですけど、他にどんな獣憑きさんが居るんですかぁ?」
「見たらわかるだろー」
ぱっと振り返った先に居た、鼠憑きがびくっと肩を震わせた。
昔、何をそんなにビビるんだと聞いたら、鼠は習性なのか猫と目が合うと悪寒が走ると言っていた。
「翔ちゃんに教えてもらいたいんです!」
那月の瞳がキラキラと輝いていて、一応答えてやることにする。
「あいつはネズミなのに、背がでかい。あいつがウサギで、ウサギは大体あるびのってやつらしい。そんであいつが――」
一通り適当に紹介してやると、那月は「たくさんいるんですねえ」と嬉しそうに笑った。
「うん。魚憑きもいて、絵本とかに出てくる人魚がそれってきいた。ほんとかは知らない」
ほかにも物語の中の狼男、カラス天狗、ケンタウロスなんかも獣憑きの話を大きくしたものだ。
「実在するかもしれないんですね…!会ってみたいなぁ…」
「うわき、おこるぞ…!」
手の甲に爪を立てても、那月は痛がらずに微笑んで「違いますよぉ」と否定するだけだった。
那月の声は柔らかくて優しさが溢れていると思う。
そして、龍也さんもすごく安心する声をしている。
急に怒鳴らないというだけで、全然違う、から。
それからも他愛のない話をして、時間だからと手を撫でてくる。
「それじゃ、また来ますね」
「ばいばい」
いつもなら名残惜しそうに何度も振り返っていたのに、那月はにっこり微笑むと、そのまま帰ってしまった。
手を振って下ろした手が何かにぶつかって目線を下げると、どうやら那月は紙袋を忘れて行ったようだった。
途端に背中に突き刺さる視線にしまったと後ろを振り返れば、闇の中に静かに燃える瞳がいくつもあった。
幾人かの相手をしたあと、紙袋を持って部屋に戻る。
中に入っていたウサギのぬいぐるみは長い耳を垂らした、淡いオレンジの毛でどてっとした丸いお腹をしていて、手の平に収まる小さなサイズだったから、紙袋には余裕がある。
部屋の隅には那月から貰ったぬいぐるみがごろごろと転がっていて、それを袋にいくつか詰めていく。
せめて、自分の部屋を貰うまでの間、龍也さんの部屋に避難させてもらおうと思ったからだ。
無理に押し込んで溢れそうな紙袋を抱えて、龍也さんの部屋に向かう。
妓楼の一階には厨房、大浴場、小さな檜風呂、厠、それぞれ禿や新造の大部屋、使用人の部屋があり、客を取るようになると、上階に個室を与えられるようになる。
龍也さんの部屋は横長い屋敷の厨房を挟んだ一番奥で、大部屋からは少し遠く、風呂場からは近い場所。
美味しそうな夜食の匂いに気を取られつつも、龍也さんの部屋の前まで辿りついて声をかけようと思った瞬間、向こうから襖が開いた。
目の前に現れたのは龍也さんではなく、派手なピンクの髪に黒い毛の耳を生やした狐憑きの月宮姉さんだった。
黒に赤が映える上品な着物を着ていて、黒と金のかんざしが髪から覗く。
月宮姉さんは最高位の太夫で、見目がいいからと年季はまだ先らしく、そんなにも人気なのに身請けの話を聞かないからこっそり断っているんじゃないかって仲間内で噂だ。
「こんばんは」
「あら、可愛いわね。ぬいぐるみ!」
月宮姉さんは一番上に乗った白い猫を手に取ると、にゃんにゃんと笑いかけてくる。
「もらいすぎて、困っちゃって…置かせてもらえないかと思って」
「へぇ〜そしたら、これ、貰っていってあげるわよ〜」
「や、それは…一つでも減ってたら怒るってくれたやつが、だから、すみませ――」
「こーら」
部屋から出てきた龍也さんが月宮姉さんの頭を軽く叩くと、月宮姉さんは頬を膨らました。
「別にあんたの可愛い可愛い、お姫様をいじめちゃいないわよ。そんなことよりも、それ。気をつけた方がいいんじゃない?」
それ、と言った視線の先はぬいぐるみだった。
何が気をつけた方がいいんだろうと首を傾げていると、月宮姉さんは龍也さんに猫のぬいぐるみを押し付けて去っていった。
「龍也さ…これ…」
「聞こえてた。まあ、どっちにしろ明日には部屋をやる予定だったし今日ぐらいは――」
そろそろだとは思っていたけれど、ついにその日がやってきた一人部屋。
それはつまり、客を取らなければならないということ。
やっぱり那月だけじゃなくて、誰も俺のことなんか身請けしてくれないんだ。
泣き出しそうになる肩を抱きしめるように部屋に連れ込まれて、襖が閉められた。反動で山盛りに積んでいたぬいぐるみが転がり落ちて散らばってしまう。
転がった先にある行灯がぼんやりと薄暗い部屋を照らしていた。
猫は要らない子だって、こんな手で自分のことさえも出来ない俺が貰われるわけなかったんだ。
抱きしめる力が強くて、龍也さんの服を噛んで声を殺した。
その日は子どもの頃みたいにしがみついて一緒に眠ってもらった。
あれよあれよといううちに水揚げの日を迎え、祭りのような一日はあっという間に過ぎ去って行った。
龍也さんが選んでくれた優しそうな人の中から俺が選んだのは、一番、歳のいった人。
那月ほどではなくても、昔から俺に会いに来てお菓子をくれた。
それが正解だったのかと聞かれれば、不正解だった、と言った方が的確だ。
正確な歳は聞いていないけれど、中年を過ぎた辺りの少し白髪がかっていて落ち着いた人だ。
たまたま通りがかった音也が趣味悪いなーって笑ってたけど、その意味はどうやら若くて元気が良すぎるのも困りものだけど、歳が行ってると一回が長引くということだと身を持って知った。
候補の中に那月の姿はなかったし、ウサギのぬいぐるみを貰った日からすっかり顔を見せなくなってしまった。
龍也さんは「四ノ宮って言えば、有名な資産家の一人息子らしいぞ。家に金はあっても、お坊ちゃんでしかないあいつが自由に使える金なんて、たかが知れてるんだろうよ」と頭を撫でてくれた。
それでも、見世物小屋だってタダじゃないのに毎日贈り物を持って会いに来てくれてたから、身請けはしてくれなくても、馴染みにはなってくれるんじゃないかって。
事実、俺に贈り物をくれる奴なんて、数居る馴染みでさえ少なかった。
微睡む意識の中、部屋にやってきた龍也さんがお湯の入った桶を置いて、そこに浸した布を絞るのをぼうっと眺める。
俺は掛け布団が汚れるのが嫌で、行為が始まってすぐに部屋の隅にやってしまうから、肌蹴たまま羽織を掛けられている状態だった。
楼主から毎回、誰が来ても出迎えも、見送りもしなくていいと告げられた。
それだけでなく張見世に出るなということ。張見世に出れば、顔を隠したり誘ったり、それこそ駆け引きが生まれるけれど、それは言うなれば、水揚げのときとは違って、自分で相手を選ぶ権利がないということと同義だった。
部屋に篭って相手を待ち、行為が終わるたびに龍也さんが体を綺麗にしてくれる。
そして、俺はまた、お酌もせず布団の上で喘ぎ啼く。
それだけを道具のように求められているということが、たったの一ヶ月で嫌というほど思い知った。
『あたしたちはただ、相手の愚痴を聞いて慰めてあげればいいの。それから、ひと時の間、快楽で忘れさせてあげる、それで十分なのよ』
前に月宮姉さんが言っていた言葉を聞いたとき「ふうん」と思ったものだけれど、今では理解しがたいものになってしまった。
誰も俺に対して、慰めや偽りの愛ですら求めていない。
やっぱり、猫なんて誰も欲しいと、手にしたいと思わないんだ。
それは、俺が想像してたよりもずっと苦痛で、体を拓かれることよりも悲しいことだった。
自分のが胸に飛び散って乾いたそれを綺麗に拭い取っていく、ごつごつした手に触れる。
「龍也さん…尻尾、洗ってよ…なあ…」
客はそれに触ると罰金、酷くて出入り禁止になると分かっているから、尻尾に触れることはまずないし、実際に汚れているわけじゃなかった。
でも、汚い気がして、気持ちが悪かった。
「今日の分が終わったら、な」
「えーまだ居んのかよ……ん…」
濡れた手ぬぐい越しに、胸の突起を摘みあげてくる。
もう綺麗に拭けていても、龍也さんはこんな風に触ってくるようになった。
「ほかのやつにはない制約があんなにあっても、お前を可愛がりたいって奴は多いんだ」
猫の尻尾に触れるな、猫にキスするな、猫に口でやらせるな、猫の手を開かせるな、猫に傷や痕をつけるな。
口は歯が尖っているからでもあるんだろうけれど、俺のために設けられた制約に見えて、その実、客を多く取らせるためでしかないとすぐに気づいた。
たまに見られるのが興奮すると言って、俺の前で自慰だけして帰るやつがいる。
高い金払って自慰だけって楽が出来てありがたいと言えばありがたいけど、つくづく変態ばかりだ。
「…月宮姉さ、だって…こなに相手してない……もう、おっぱい、やっ!」
反対側の胸も同じようにしてくるから、手を剥がそうとしてもびくともしない。
そこはさっきのやつに散々弄られたから、親指でしつこく擦られると、すぐに涙が浮かんできてしまう。
「俺に甘えた声聞かせても仕方ないんじゃないか?」
もう癖みたいなもので、胸はおっぱい、下のそれはちんちんなんて、するりと零れていくようになった。
でも、確かに龍也さんの前で言ったことはほとんどなくて、久しぶりに羞恥というものを感じた。
「……ま、可愛いけどな」
赤くなる頬を撫でられて、胸からお腹へと滑っていく。
「…そう思うんなら、店じまいにしてくれたっていーじゃん」
連日来るやつも居れば、毎日違う奴のこともある。
見世物小屋には毎日出てたけど、楼主に写真を撮られた程度で張見世に出たことないのに、何でこんなに指名が入るのか分からない。
どっかで見たことあるようなやつも居るし、首を傾げるばかりだ。
「俺にそんな権限ねえよ」
「んんぅ…」
熱を帯びてきそうなそれを丹念に拭く間、小さな布を口に含まされて声を出さないようにさせられる。
敏感なところを触れられて感じないわけがなくて勃ってしまっても、風呂のときだって龍也さんは出してくれなくなってしまった。
快楽に弱くて、すぐ呑まれてしまう俺に軽蔑したのかな…。
与えられた部屋は最上階である三階の角で、隣どころか周辺は空き部屋、真下も同様で、俺用の厠まで三階に用意されている。
風呂は早朝で誰とも会わないし、食事も部屋に運ばれ、変わらず龍也さんが食べさせてくれる。
音也や同じ階に居る月宮姉さんでさえもほとんど会えなくなっていた。
いや、俺自身、会いたくない、というのは少しある。
龍也さんが「たまには一十木でも呼んで下で食うか?」と自分の部屋に誘ってくれることがあるけれど、俺はそれを断っていたんだ。
鏡を見ると自分が酷く、穢れているように感じてしまうから。
ぐうと鳴る腹の虫にもう夜になってしまったのかと暗い障子窓を見れば、上空から闇を照らす明るい満月に気づいて反対方向に寝返りを打った。
「入るぞ」
襖の向こうから龍也さんの声が聞こえて、布団を頭まで被りこむ。
ご飯を食べて支度をしたら、すぐ客がやってくる。
仕事はそこまで嫌じゃない。俺の食い扶持であり、龍也さんのお給料にもなるのだから仕事だと割り切る。
でも、龍也さん自身に嫌われたくなくて、客を取るのを嫌な振りをする。
それがここ最近の俺のささやかな意思表示だった。
「チビ助、起きろ。飯、食わせてやらねーぞ」
「……起きてるし…」
「布団を頭まで被ってるやつは寝てんのと一緒だ」
ばっと布団を剥がされて、寝ている間に肌蹴てしまった肌がひんやりした空気に晒されて体を震わせる。
もう月日は十二月を迎え、年の終わりが迫っていた。
客足は最初の頃ほどの勢いはなくなり、落ち着ける日も増えてきている。
楼主には失礼なことをしたんじゃないだろうなって怒られたけど、俺はいつもと変わらず、同じように相手をしているだけだった。薄々、変わり映えのしないそれが悪いのかもしれないと感じているけれど、制約が多いだけあって相手も体位を変えるだけで工夫しようとはしないし、俺はそれを受け止めるだけだった。
部屋に運ばれた桶を膝に置いて、部屋の中で歯や顔も洗うのが当たり前になっていて、歯を磨いていると、まどろっこしいと龍也さんが洗ってくれることがある。
今日もそんな日らしく、おもむろに背後に回った龍也さんに歯ブラシを取られた。
「上向け」
無理やり胸に凭れさせられて、腕に頭が乗る形で体をずらされる。
「自分でするってば」
スプーンで掬える食べ物は自分で食べるし、お椀だって持てる。小魚はかぶり付く。
歯ブラシもなんとか持てるのだから、自分で出来ることはしたい。龍也さんに迷惑を掛けたくなかった。
「今日は待ってる暇がねえんだ」
顎を持って開かされて、優しく擦られるとくすぐったくて。
「ぁ……ぁぁ…」
逃げようとして、龍也さんの腕に体重が掛かっていく。
下の歯列から上に移動すると、そのくすぐったさが一段と強くなって、腕を押し返す。
「…んん……嫌だ…泡ぁ…!」
訴えると体を起こされて、空いた桶にそれを吐き出した。
「ん、ほら、いーして」
猫のように尖った歯が二本。
こんなんじゃ口で出来ないのもそうだけど、キスだって相手を傷つけてしまうから禁止なんだ。
そういや、重ねるだけのキスさえもしたことないかも。
噛まないのになぁ…。
本当に手順なんてめちゃくちゃだ。
口を漱いで、水で絞った布で顔を拭かれて、冷たさで体がぞわぞわと飛び上がった。
「ひっ……んぶ…」
布は冷たいけど、龍也さんに抱きしめられてるようなものだから体温が移って温かくて、ごろんと胸の方に体を傾ける。
「今日、最初誰くんの?」
「秘密。お前を張見世から口説きたいんだと」
「マジ!?俺、ついに張見世デビュー!?」
「出たかったのか?」
それは知らなかった、と笑う龍也さんになんとなく気分が沈んでしまう。
だって、部屋で股開いてろって、別に俺じゃなくても出来るし…なんて、言えるわけがなくて黙り込めば、龍也さんが頭をぽんぽんと撫でてくれた。
俺は龍也さんが居れば、それだけで十分なんだ。
すぐ脱がされるのだからと俺はあまりいい着物は持っていないし、髪もたまに一つに結わえることがあるぐらいだ。でも、今日は見たことのない上質な着物を着せられて、新しいかんざしも髪に挿してもらった。
聞けば、俺を口説きたいと言った客からの贈り物らしく、俺にこんな高そうなものをくれるなんて珍しくて、とても嬉しかった。
でも、ここまでされて好みじゃなかったらどうしよう。
そう思ったのに、楼主に「お前は大人しく頷いていればいい」と言われた。
初めての張見世なのに、猫の俺が選ぶなんて甘い夢だったんだ。
いっそ、カタコトじゃなくて素の自分で相手してやろうと決めて、張見世の座敷に上がる。
ずるずると高級そうな着物を引き摺っていると、音也の姿を見つけた。
会いたくて、会いたくなかった友達。
「久しぶり」
声を掛けないのも変だからと傍まで行って肘でつつくと、音也はわぁと目を輝かせた。
「ホント久しぶりじゃん!元気そうで良かったよ〜」
そう見えるなら会って良かったとほっと息を吐く。
「三階に忍び込もうとしたら龍也さんがさ、いっつも仕事中だって言うんだよ。超売れっ子じゃん」
お茶挽きも居る中でそんなに嬉しくないとは言えない。
「今だけだって。その分、早く年季が明ければいいけどな」
「そしたらさ、龍也さんはどうするの?」
「……どうもこうもないだろ。あの人は仕事でここに居るんだから」
ふうんと音也の尻尾がぱたぱたと嬉しそうに動いていて、なんなんだと顔をしかめれば、小屋に入ってきた人に音也が前に乗り出す。
「あ、良い男発見…俺がもーらい!」
でも、音也は軽くあしらわれてしまって、ちぇっと拗ねた声を漏らした。
こっちに戻ってくるのかと思ったら、すぐに別の男に飛びついて声撫で声を出す音也に苦笑すると、音也をあしらった男が声をかけてきた。
「そのかんざし、よく似合ってるよ。着物も、ちょっと派手かなって思ったんだけど、そうでもなかったみたいで安心した。素材がいいと、何でも似合ってしまうのかな」
相手の特徴も聞いていないのに大人しく頷けと言われても、とは思っていたけれど、確実にこの男が相手だと分かる口説き文句だった。
「まあね。その典型的な台詞はどうかと思うけど、嬉しいよ。ありがと」
腕を上げ、袖を垂らして微笑む。
俺に贈り物をくれるのは、水揚げのときに名を連ねてた人ぐらいだ。
普通の話をすることも、食事を共にすることもないのだから、俺に思い入れがある人は少ないらしい。俺だって気持ち的には来るもの拒まず、去るもの追わずの姿勢から変えるつもりはなかった。
楽、だからだ。
「手厳しいね。でも、気に入ってくれたようで何より」
おどけたように笑ってみせる男は長い茶髪でスーツ姿。
若く見えるのに、立ち振る舞いが落ち着いていて、大人を思わせる。
「うーん、思っていたよりもずっと、子猫ちゃんは強い瞳をしているね。写真なんて本当に当てにならないよ」
「あぁ……あれに騙されたクチ?」
写真を撮られるとき、必ずと言っていいほど『物悲しげな顔をしろ』と指示される。布団の上で乱れた髪や着物を肌蹴けさせ、目薬を仕込まれるなんてこともあったぐらいだ。
そろそろと格子に近寄って、懐かしいそれに触れる。
品定めされることもなく部屋に引き篭もっていた俺にはこの小さな張見世は憧れに近い感情を抱いていた。
自分の技量や容姿で相手が決まる空間は、見世物小屋のときと似ているようで似ていない。
あの時とは違って、捨てられた子どものように、同情を引く必要なんかないんだ。
「いいや。こっちの方がずっと魅力的だよ。でも、床の上で見せてくれる表情は……とても、唆られるんだろうね」
とんと格子越しに手を重ねられ、格子を掴む指がそっと手に触れてくる。
俺よりも焼けた肌をしていて、猫手のせいでより一層相手の手が大きく見える。
制約の中で『猫の指を開かないこと』があるため、うっかりそうしてしまわないように俺の手に触れる人は龍也さんぐらいだった。
あぁ、俺の手を握って切なそうな顔をした奴がいたな、と頭の片隅で思い出す。
それだけじゃなく、うっとりした顔もしていた。
「想像するのは勝手だけど、マグロだったらどうすんだ?」
あぁ、しまった。
自分を落とす台詞なんて言うつもりなかったのに、迎えに来てくれなかったと、思い出さないようにしていたあいつのせいだ。
「だとするなら、きっと子猫ちゃんが悪いわけじゃないと思うよ。オレと、試してみようか」
くす、と青い瞳が細められて、手の甲にキスされてしまう。
「赤くなった。可愛いね」
男の後ろに居た楼主が睨んでくるから、早々に誘うことにした。
妓楼までの僅かな道、エスコートするように手を取られて。
月明かりがとても眩しくて、肩掛けがずれないように抑えて久しく見ていなかったそれを見上げれば、白い息が澄んだ漆黒の空に舞う。
「月、好きなんだ?」
急かすことなく立ち止まった男――レンは肩を抱き寄せてきて、視線の先を探るように空を見上げた。
「んー久しぶりに見るくらいには、好きじゃ、ないな」
三階の部屋なのに外を見下ろすこともなく、また、見上げることもなく。
月がつく、名前の奴を思い出さないように。
「子猫ちゃんのブロンドは闇に映えるけれど、それは明かりがないと認識できないって知ってた?」
「そりゃあそうだろ…」
突然当たり前のことを言い出すレンに首を傾げると、レンが歩き出すから足を進める。
「隣にふさわしい男が居るだけで、子猫ちゃんはより輝くってこと。相手は選んだ方がいいんじゃない?」
玄関に入る手前、見知った男が他の獣憑きに囲まれて、こっちを見ていることに気づく。
遊郭では相手を乗り換えられないはずなのに。
「………俺は、少なくともレンはいい奴だって思うよ」
浮気していた男が物言いたそうにするから、レンの背中に腕を回して軽く会釈をする。
弁解なんて要らないし、俺は責めねえよ。
「どうしてそう思うのか聞かせてくれる?」
「……着物、くれたじゃん」
レンは笑って「いい理由だ」と、もう一度手を取った。
俺の部屋には布団と間仕切りの衝立、行灯、化粧台、行為に必要なものぐらいしか置かれていない。
ほかは必要ないからだ。
レンがつけている香水は部屋のお香と合わないと思ったけれど、むしろよく馴染んでいた。
たぶん、それはレン自身が浮くことなく、この雰囲気に溶け込むように違和感なく存在しているから。
出窓の傍に腰を下ろして寄り添っていると、レンが行灯を見つめながら呟いた。
「見世で口説きたい、なんて無理言ってお願いしたのは俺だけど…太夫にさせることじゃなかったね、ごめん」
「ん?見世に出てなくっても、俺は太夫じゃないし謝る必要なんかねーよ。俺は新鮮で楽しかった。それでいいだろ?」
少しだけ悲しそうに微笑むレンが遊ぶように手に触れてきて、甲を撫でてくる。
「うん。思った通り、子猫ちゃんはとても真っ直ぐで前向きだ。そう言ってくれると救われるよ」
「………紳士気取ってるけど、レンはどう思われてるのか気にしてしまうんだな」
全く気にならない人間なんてそう多くはないし、さっきもどう思うのか聞かせて欲しいって言われたから、それっぽく口を合わせればいい。
「気になるよ。例えば、子猫ちゃんの気持ち、とかね?」
ふっと覗き込んでくるレンの袖を引っ張る。
「……部屋に誘ったのに分からないなら相当鈍いぞ?」
青い瞳が細められて、顔が近づいてくる。唇に触れる直前に逸れて、頬へと口付けられた。
音を立てながら何度も頬に唇を寄せて、畳へと押し倒され、ゆったりとした手つきで帯が緩められていく。
襟を開けられ、晒された肌にレンが触れてくるから、袖から長襦袢を残して着物を脱ぎ、レンの首に腕を巻きつける。
「しわついたらやだから、俺だけあっち運んで?」
布団の方に視線をやると、レンが横に抱き上げようとした瞬間、尻尾が着物に擦れてぞくぞくして吐息が漏れてしまう。
「今からそんな風で、これからすることに意識を保っていられるのかな?」
そっと布団の上に下ろされて、覆いかぶさってくるレンの長い髪を耳にかけてやる。
「……試して、みる?」
「喜んで」
そう言って微笑んでくれるだけで、今だけでも求められているんだと笑顔になれた。
ここでの存在価値はそれが全てだと、体が分かっている。
「ぁ、ぁっ……んっく…」
しゃくるように浅く呼吸を繰り返すたびにレンの腰の動きが止まり、落ち着いてと髪を撫で慰めてくれる。
「い、いいから、きもちくして、れん…」
「困った子だ。これのどこがマグロなのか教えて欲しいよ」
触れられたところ全てがぴくんと反応を返し、腫れ物に触るように優しく撫でる手つきが、またぞくりと体を震わせる。
頬も撫でるように唇を這わせ、青い瞳が見つめてくるけれど、レンはあまり動いてはくれなかった。
いつもはお願いする間もなく、力任せにしてくるやつのが多いのに。
「……俺の中、きもちくない?」
「いいや。すごく、善いよ。でも、俺は動くことよりも、こうしていることに幸福を覚えるタイプでね」
「…?」
首を傾げてみれば、レンがふいに耳に触れてくる。
「やんっ…」
耳には制約はないけど、脳にダイレクトに快楽が伝わってきてびくんと体が跳ねた。
「例えば、抱きしめたり、添い寝したり、キスしたり、普通にお喋りしたり…」
俺が夢にまで見たそんなやり取りをレンは俺に求めてくれてるのか。
でも、今はそんなことよりも、俺には達しそうで止められた体の方が辛くて、レンの頬に手を添える。
「んぅ……おれ、耳でイッちゃう。レンで、イきたい…。な、動いて?」
甘えれば、ほら、中のレンが脈打って大きくなった。
「先に、してしまおうか、」
歪められた表情に微笑んでレンの首に腕を回せば、引き抜かれて開いた空間を埋めるように何度も行き来する硬いもの。
薄いゴムなんてない気がしてくる熱いそれが嬉しいと感じる。
「あん、ぁぁっ、………ふ、ぁ、にゃぁっ…!」
いいところに当たるほどに声を漏らし、水音が響いていく。
揺すぶられるたびに垂れかかるレンの髪が頬をくすぐって、それさえも熱に変わってしまう。
「いい顔だ。唆られる」
「ぁ、ぁ…んぁぁ……そこ、好きぃ……ぁ、ぁあ――!」
昇りつめる熱い体に力が入った瞬間、白濁が飛び出した。
片目を閉じて苦しそうに顔を歪めるレンがくぐもった声と共に身を引き抜いた。
とろりとお腹に垂れる自分の熱に身震いして息を吐きながらレンを見つめれば、余韻に浸る風でもなくゴムの処理を始めてしまう。
いつもそうだ。行為が終わったら、冷めたように帰り支度を始める相手。
「……はぁ…もう帰んの…?」
「帰らないよ。これ、つけるときも、外すときも本当に雰囲気壊すよね、とても好きになれない」
ゴムの先を縛ってゴミ箱に入れると、飛び散った俺の体をティッシュでふき取ってくる。
そんなこと、客であるレンがする必要なんかないのに。
肌蹴たままの長襦袢を閉じながら、隣に寝そべって布団を被せてくる。
間近にあるレンの整った顔がくしゃりと笑った。
頭の下に腕を通して抱き寄せられて、熱い温もりがずれた襟のせいで直に伝わってくる。
「少し、急ぎ過ぎたかなって。辛くなかった?」
「…ううん、気持ちいい」
それは本当だけど、俺はもっと、強く、してくれた方が好きだった。
より、求められている気がするから。
「なら良かった。本当はキス、したいんだけどね……罰金よりも――」
好奇心で傍にある薄い唇に自分のそれを重ねてみせれば、レンの瞳が僅かに見開かれ、ぐっと唇を押し付けてくる。
互いの柔らかいそれを確かめるように角度を変えて、キスって気持ちいいんだなと思った。
ただの重ねるキスだったのに、熱い舌で軽く歯列を押しやって中に入ってきた。
「んっ…」
大丈夫、噛まないから、もうちょっとだけ。
でも、くちゅとリップ音が響いた瞬間、急に恥ずかしくなってきてレンの胸を押し返した。
あっさりと身を引くレンは困ったように微笑んで、唇に人差し指を立てた。
「まいったな、内緒にしてくれるかい?」
「……いい、けど、もっかい、えっちしよ?」
そっちの方が恥ずかしくないなんてどうかしてると思うけれど、そうしている時間の方が俺は落ち着けるようだった。
いつもなら五人から六人相手に出来る時間、レンが俺を抱いたのはたったの二回。
憧れのようなものがあった駆け引きは実際にしてみると、自分には向かない要素だったんだと気づかされた。
燻った熱のせいで、まだ体が男を求めている。
二回じゃ、物足りないよ、レン。
頭を撫でられて、ゆっくりと目を開けた先に映るのはレンではなく龍也さんで、部屋からはレンのかばんが消えていた。眠っているときに、近いうちにまた会いに来るよと耳元で聞いた覚えもあって、俺のことを気に入ってはくれたようだった。
疲労感で意識を手離すように眠るのではなく、久しぶりに熟睡したような気がするのに、体は妙に火照って熱かった。
風邪でも引いた…?
「……熱い…」
「頭、痛いか?」
小さく首を横に振れば、髪を掻き揚げてくるから、なんとなくその手を取って節ばった指を横からかぶりつく。
そのまま舌で舐めてみると、龍也さんは引っ込めるわけでもなく、ため息をついてしまった。
「……ん…」
出来るだけ、噛まないように龍也さんの指を咥えて。
何で、こんなことしてしまうのか分からなかった。
お腹が空いてるのとは違う感覚。でも、何かに飢えているのは確かで、とても、美味しそうに見えたんだ。
「風邪じゃないだけでなく噛むってことは、発情、だな」
「はつじょ…?んなの、いつも、」
龍也さん相手にしてる、とは言えなくて。
もし、今のこの火照った体がそういう状態であるなら、客相手にそうなったなんて思われたくない。
「……えろい夢見ただけだ、りゅやさん出してよ…熱い」
指が唾液で濡れても無理に引き剥がそうとはしないから、まだ濡れていない親指を小さい子どもが自分の指を吸うように口に含める。
「なら、もう一人客を入れる」
もう朝にも近いのに、まだ居るのか。
「龍也さんがいい。品物に手出したらダメなら、俺が花代持つから、客ってことにしてさ。な?」
言ったらダメだと押し込んでいた言葉がぽろぽろと零れて自分でも驚いていると、龍也さんが視線を逸らしてしまった。
早く、弁解しないととそう思うのに。
「俺じゃ、その気にならないなら挿れなくていいから、昔みたいに体、熱いの、なおして…」
龍也さんがこっちを見てくれなくて、最後の方は声が震えてしまった。
俺にとって龍也さんは父親や兄のような存在だったのは間違いなくて、俺がそう思うんだから、龍也さんにとっても弟や子どものように思われていると分かっていたはずなのに。
「………もう、俺のこと、ずっと前から軽蔑してるんだよな……客、入れていいから、」
「俺は、軽蔑なんかしていい立場じゃねえよ。お前はそういう体質なだけだ。風邪だと伝えてくるから寝てろ」
そう言って龍也さんは部屋から出て行ったきり、俺の期待を砕くかのように戻ってはこなかった。
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