寝てろと言われた通りにじっとしていれば、普通なら治まるはずのものが一向にそんな気配を見せず、龍也さん相手に発情してるとはとても言えない初めてのことに、これが本来の発情なのかと自嘲する。
部屋に取り残された俺に出来ることは自分で慰めることで、一応こんな手であっても、自慰というものが全く出来ないわけじゃなかった。
ただ、自分でしてしまったら、後の処理に困ることになって、龍也さんに出してもらうことよりも、ずっと恥ずかしい気がして出来なかったんだ。
そうして、長襦袢の中に手を忍ばせて触れたそれは、思っていたよりも気持ちのいいものではなくて、人に触れられているからこそ、より感度が高まるのだと知った。
龍也さんじゃなくてもいいから、誰か触って、慰めて。
あぁ、俺はこんなにも男が欲しいのかとまた自嘲した。
震えそうになる肩を抱いて、襖続きの廊下を真っ直ぐに進み階段を目指す。
少し離れた部屋からは低く話す声と弱々しい声が漏れ聞こえ、兎憑きの姉さんはまだ客の相手をしているようだった。
長襦袢しか纏っていない体に目もくれず、廊下が途切れて階段までたどり着くとそのまま下へと一歩を踏み出した。
まだ客居るって言ってたよな?
風邪なんてことにしなくていいから、そいつ、くれよと。
やっとのことで二階にたどり着いた途端、昨日聞いた明るい声が飛んでくる。
「わっ、翔!どうしたの、そんな格好で」
慌てて駆け寄ってきたのは音也で、周りには禿や新造が物珍しそうにこっちを見ていた。
半年ほどの間に知らない顔ばかりになっていて、面識がほとんどないからなのだろうけれど、それはつまり、見知った獣憑きは身請けされてしまったということに等しい。
「風邪だって小耳に挟んだけど大丈夫?」
「ん、平気」
心配そうに顔を覗き込んで、額に手を添えてくる音也に縋ってしまいそうで、力なく押し返せば、耳元で音也が囁いた。
「もしかして、発情してる?」
驚いて音也を見返すと、音也は禿たちに背を向けて隠れるように小さく続けた。
「だって寒気で震えてるって感じしないもん。俺はお客さん増やして何とかしたけど、これって本当にヤりたいだけだから、落ち着いたとき後悔するんだよね。体が悲鳴を上げるって言うか、しばらく動きたくないのなんのって」
俺がそうならないように、龍也さんは風邪ってことにしようとしてくれた…?
でも、辛い体で放っておかれるよりも、ずっと客の相手をしていた方が借金だって返せるのに。
「何でこうなったのかわかんねーよ。客に発情したってこと?」
「えーとね、純粋にヤりたくてしょうがないときにお預け食らうとそうなるみたい――」
「にゃっ!!」
急に誰かに尻尾の先を握られて飛び上がった。
その拍子に力が抜けて、床にへたりこんでしまった。
「マジ、誰だよ!やめろ!今、必死に抑えてんだから!襲うぞ!」
勢いよく振り返って睨んでみても、涙目で効き目はないと思ったのに、禿たちは面白いようにびくついて、音也が他人事のように笑った。
「あはは、相変わらず、尻尾弱いんだねー!根元が弱いって子は多いけど、全部って珍しいらしいよ〜」
「使いもしねえのに敏感なだけ無駄だよな」
「そんなことないよ〜あるだけで変態チックになるんだからいいんだって!つまり、ここに来るお客さんはみーんな変態ってこと!」
わんわん、と笑う音也はポジティブ思考に拍車が掛かっている気がした。
体が熱い原因はなんとなく分かったけど、お預け食らったらって、龍也さんにそうされたら、ますます治まるとは思えなかった。
「騒がしいと思ったら、あんたたち何してるの?」
声がした方を振り返ると、上階から月宮姉さんが顔を出していた。
「それが、翔が発情――」
大きな声で話す音也の口を慌てて塞げば、月宮姉さんはくすっと笑った。
「翔ちゃんはお付きの姉さんが居なかったものね。全く、龍也は翔ちゃんが可愛すぎて子ども扱いでもしてたんじゃないかしら」
子ども、扱い…。
月宮姉さんが俺たちの傍に円陣を組むようにしゃがんで、いーい?と目配せした。
「性的な欲求を満たすことは仕事で出来るけど、それじゃあ、またいつか発情しちゃうかもしれないでしょ?でも、好きな人を見つければ、自然と落ち着いていくの。例え、結ばれなくてもね」
「俺にはそんなの無理だから、身請け断ってるんだよ。ここに居れば、相手がいっぱい居て最高だし」
「あたし、オトくんのその柔軟性が好きよ」
「えへへー」
結ばれなくてもいいなら、俺の好きな人は龍也さんなのに、なんで治まらないんだ。
意味が分からなくてむっとしていたら、月宮姉さんが人差し指を立てた。
「つまり〜誰彼構わず相手を求めてしまうのを、好きな相手が出来ることによって抑えるってこと。そんな風になってしまって、好きな人に嫌われたくないって思うのと似てるかもしれないわね」
余計に理解できなかった。俺はずっと、そう思ってきたのに。
本能的に龍也さんは俺の好きな相手じゃない?
やっぱり父親として、兄として、慕ってるだけってこと?
「リンちゃんは好きな人、居るの?」
「ん〜居なかったら、少しは楽だったかもしれないわ」
それは、居る方が発情しなくて体が楽でも、結ばれないから心が満たされないってことで。
月宮姉さんの好きな相手は、月宮姉さんを身請けしてやる金がないのかな。
それとも、客じゃない相手が好きなのか。
音也の質問責めに月宮姉さんは言葉を濁すだけだった。
そうして、二階の廊下で騒ぐ形となってしまったために、楼主がやってきてしまった。
龍也さんが俺のために風邪だと嘘をついてくれたのだから、話を合わせながら客を入れて欲しいと頼めば、仕事熱心なのはいいことだが、お客様に風邪を移してしまうわけにはいかないと、珍しく尤もらしいことを言われた。
肩を落として階段を登ろうとした手前、楼主に後ろから抱きしめられてしまう。
抱きしめるなんて生易しいものであったのなら、どんなに良かったか。
「……っ」
長襦袢の上からまさぐられ、熱を持ったそこを遠慮なしに掴まれて膝が崩れ落ちた。
「風邪の割りに、元気じゃないか…?主人に向かって嘘を吐くとは、日向のやつを折檻しないとな」
「りゅ、龍也さんは悪くない、俺の体が、変なだけっ…」
俺を折檻しないのは、決まった額にチップのようなものがあるため、肌に傷がない方がより稼げるからだった。普通の遊郭とは違う制度。音也たちの場合は、付いている禿や新造がその対象となる。
ぐりぐりと先端を親指で刺激されて、段々と後ろに倒れ、ずれた長襦袢から足が晒されてしまう。
こんな廊下で、と思っていると、音也が子どもたちを急いで部屋に連れて行ってくれて、月宮姉さんは静観していた。
「まぁいい、お客様を入れてやろう。音也、日向を呼んで支度を整えさせろ。折檻はその後だ」
客よりも好きになれない楼主でも、出してくれるならと一瞬でも望んだ自分が居て悔しかった。
どたばたと音也が下に降りていき、楼主がそれに続く。
残った月宮姉さんが長襦袢を整えてくれて、体を起こしてくれた。
「気にしたらダメよ。発情ってそういうものなの。誰でも、いいのよ」
……それ、龍也さんも知ってる、よな…。
龍也さんがいいっていくら言ったところで、発情しているということは、誰でもいいから相手にして欲しい状態になっていると思われたということ。
「こんな体…」
月宮姉さんが手を握って言った。
「私たちが人間になりきれないところよね。でもね、誰かに恋をすることで反対に発情を抑えられるってことは理性があるってことなのよ。それって、とても、人間らしいと思わない?」
眉を下げて微笑み、龍也さんが来ると「もっと上手くやりなさいよ」と小言を漏らした。
「折檻――」
言いかければ、胸に押し付けるように頭を抱き寄せられて、一言「悪かった」と謝られてしまった。
俺が外に出ずに部屋で寝ていればそんなことにはならなかったのに、俺のがごめんなさいとは言葉に出来なかった。
謝ったところで折檻されることには変わりない。
終わったら、いっぱい、ごめんなさいってするから。
それからやってきた客は昨日、浮気していた男だった。
どうしても謝りたくて朝まで居座り続けていたらしい。
誰が来なくなっても、浮気だってさほど気にしないようにしていても、そんなのはやせ我慢に近い何かでしかないのは違いなくて、俺は離れていかない誰かが欲しいんだと、疼く体で痛感した。
「お兄ちゃんのこと、かんがえてたら、おれ、こんななっちゃたの」
長襦袢を捲り、自分の勃起したそれをそっと見せる。
「ね……いっぱい、だしてくれたら、ゆるしてもいいよ?」
こてんと首を傾げてみれば、もうしないから、と飛びついてくる男。
卑猥な音を立てながら、手で扱かれてあっという間に達すると、飛び散ったそれを男が舐め取っていく。
きもちいい、きもちいい、キモチ、――。
ぐったりした体で思うのは、大分熱が治まったということだった。
発情って、こんな簡単に治まるものだったのかと思うと、一層この体が憎らしかった。
宵の口になって龍也さんが部屋にやってきた。
俺の世話役は龍也さんしか居ないから、支度を整えたら、また折檻されに戻ってしまうんだろう。
そもそも風呂に入っていないため、必然的に先に風呂になるのだけど、龍也さんの服には血が滲んでいて、とても痛そうだった。
横に抱き上げられて、ごめんって訴えると龍也さんは気にするなと笑う。
仕事にしても、もっと冷たくしてくれたら俺だって。いや、それは俺の勝手な言い分だ。
風呂場に下ろされると脱衣所に龍也さんを押し戻す。
「一人で入るからそこで休んでて」
「さっさと入らねえと、また煩く言われるんだから大人しくしてろ」
そう言われてしまうと、折檻が重くなるのかもしれなくて頷くしかなかった。
檜の匂いが浴室に充満していて、沸かされたお湯がぬるくて心地がよかった。
龍也さんはたまに、体を軽く流しただけで浴槽に放り込んでくる。そういうときは、龍也さん自身が風呂に入る時間がないときだ。
傷を見ながら顔をしかめ、体を洗う龍也さんに声をかける。
「沁みるよな、ごめんなさい……俺が、我慢、出来なかったから」
「気にすんなって言ったろ。林檎にも一十木を見習って柔軟性を養えって怒られた」
龍也さんがふっと笑うから。
「俺、また繰り返しそうで……客とか嫌だ…」
月宮姉さんは一度そうなってしまったら、仕事の時間外でも熱が残っていて、ループしてしまうことがよくあると言っていた。
客を取るようになってから、龍也さんは出してくれなくなったけど、それをお預けとは感じなかったのは次から次にやってくる客に抱かれていたせいだったんだ。
「自分で出して抑えるわけにはいかねえのか」
「…気持ちよくない、イケない…」
一人じゃイキたくない。
こんなこと口にしても恥ずかしくない、俺は…。
「尻尾でも使って――」
耳を塞いで、頭までお湯に潜って、その先を聞かないように。
困らせたくないのに、困らせて、我慢しなきゃダメだったのに、出来ないなんて、ひたすら龍也さんに甘えて、乳離れが出来なかった子どもみたいだ。