那月と砂月と3人でセックスしてから、体の痛みとだるさもあって何もする気にもなれなかった。
こんなわけの分からない世界で1人になりたくないのもあって、砂月の希望通り外に出ない代わりに俺の部屋を用意させることに成功した。部屋はたまに音也が泊まりに来るらしく、そのときの客室だ。
ベッドが古くて小さいからと、わざわざダブルベッドをネットで注文しやがって無駄な金を使わせてしまった。
セックスするためにそんなことしたんだったら殴ろうと思ってたけど、毎日毎日砂月に添い寝を強要させられはしても、キスだってされることがないからセックスになることもなくて少しだけほっとしていた。
ほかはテレビやソファ、ローテーブルなんかはあったから、カーテンを洗ったりする程度で済んだ。
どうしても外に出たい場合は女装することが条件で、どうせ外に出ても道が分からないし特に用はないから今のところ女装からは免れている。
砂月は基本的に情緒不安定なんだと思う。二重人格だったとき、那月の悲しみを代わりに引き受けて、那月を内側から守ろうとしたり、周りに敵意をむき出して危害を加えさせる気を無くさせようとしたりする砂月はただただ強いんだと思っていた。強くないと出来ないことだから。でも、だからこそ、ストレスが溜まって爆発させるように力で解消しようとする節があったんじゃないかと思う。
分裂した砂月もそうであるとは思わないけど、少しだけ3人で暮らしているうちに砂月は変わらず那月を守ろうと動いたり、単純に那月に甘かったり、家事全般を1人でこなすなどの世話を焼いている。
でも、俺はそんな風に那月を大事にする砂月が砂月らしくて好きだなぁと思っていた。それぐらい俺のことも大事にしてもらえたら嬉しいとも思う。
結局、砂月が怒っている理由を分からないままで居たら、那月が理由を教えてくれた。
「さっちゃんもちゃんと分かってるんです。一般的に同性同士では公にイチャイチャ出来ないって。でも、翔ちゃんが恋人だってことをあっさり否定できてしまったことが悲しかったんだと思います」
それが本当かは分からないけど、それを聞いた途端、砂月でもそんなこと考えるんだなって、なんとなく可愛く思えて、酷くされたことをちょっとは許してやろうって気になった。それに合コンの日も特に出かけることはなかったから。
ちょうど砂月が買い物に出かけているときだったのもあって、俺は那月に好きだと伝えた。理由は昼間にうたた寝しているときに、俺と那月がレコーディングルームで楽しそうに過ごしてる夢を見たからだ。一緒に歌うだけじゃなくて、抱きしめたり、キスをしたり。
そんな夢を見てしまったら、この那月は俺の知っている那月とは違っても、俺は那月に触れたかった。だからと言って、砂月みたいに強引に那月に接したくないし、どうしても那月に触れてもいい正当な理由がほしかった。
でも、那月の反応は「僕も好きだよ〜」という軽いもので、抱きしめて頬にキスしてくれた。嬉しいことであるはずなのに、俺の中でなんとなく引っかかって、自分からしようという気にはならなかった。
そして、俺は情報をなるべく多く集めようと、砂月の部屋に転がっていた要らない紙にメモしていた。
那月と砂月が分裂したのが10月の半ばで、この家に住み始めてから10日が経過している。
早乙女学園に通っていた最後の記憶が、9月の初め頃。その1ヵ月半で俺の髪が腰まで伸びたわけではないらしく、分裂している那月と砂月は音楽大学に通っていて、しかも3年生…21歳だった。那月は早乙女学園で誕生日が来て18歳になったから、単純に3年もの時が経っているということになる。そう考えると、知らない間に髪が伸びていた気持ち悪さは解消されたような気がする。
そもそも、2人が分裂していることもそうだし、俺が知ってる2人は2人じゃなくて、あいつらが知ってる俺は俺じゃないって砂月も言ってたから、なんとなく別世界なのかな、って妙に受け入れている自分がいるのは、たぶん現実逃避をしていても仕方ないからかもしれない。
那月と砂月の会話を聞いていると、音也はこの近所に住んでいるらしく、しかも2人の大学の近くの体育大学に通っているとか。サッカーの推薦で入ったばかりの1年生。と言っても、サッカー選手を目指しているわけじゃなくて体育の先生を目指しているらしい。
そして、たまに聞くトキヤくん、一ノ瀬という名前。音也と付き合ってるらしいんだからこれまた驚きだ。だったら、音也に砂月の恋人だって言ってしまっても良かったのかもしれないけど、実際に恋人かと聞かれると正直どう答えていいのか分からない関係だとは思う。
本当に否定してしまったことで砂月が怒っていたのなら、よく分からなくても恋人だと答える方がいいのかな…。
テレビを見ていても元の世界と同じ番組は少なくて、知らない女優や俳優、歌手にアナウンサーが多い中、おはやっほーニュースは変わらずやっていて、そこには同じくHAYATOが出ていて毎日のように見ていたら、砂月がHAYATOのサイン入りCDを持っていて噴出した。「俺が作曲した曲だからな」とさらりと言われて驚いたけど、砂月が関わっていない曲のCDにもサインが入っていて、それはHAYATOじゃなくてトキヤに貰ったらしかった。でも、トキヤはHAYATOと双子だけど、学園でのトキヤはHAYATOのサインを求められても冷静に断っていたし、ライバル視してた部分もあるから、変な感じだった。
そうして音也やトキヤのことを根掘り葉掘り聞いていたら、砂月に「答えてやれるとは限らないが、聞きたいことがあるなら2人のときにしろ」と怒られた。ついでとばかりに「音也にも一ノ瀬にも会わせねえから」と言われて、聞かなきゃ良かったと思った。
出かけることを禁止されてしまったら暇を持て余すばかりで、少しでも砂月の負担を減らそうと家事を手伝っている。寮の部屋でも掃除はもちろん、朝食も俺が作っていたし、洗濯だってしていたから、当たり前のこと過ぎて苦痛はなかった。ただベランダに出るときも最低でもウィッグはつけろ、なんてアホな条件があるし扉の鍵が硬いから、干すのは任せきりだ。
埃が積もっていた2階を掃除していいかと聞いたら、近づくなと一蹴されてしまって、結局あのまま手付かずだ。地下も同様に近づくなと言われていて、那月のアトリエがあること以外はどうなっているのか分からない。だもんで、知らない家を探検したいのに出来ないから、暇なときは砂月の部屋のCDや本を漁って過ごしている。
CDは洋楽やクラッシックが多くて、本は洋書ばかりで漫画やアニメ関連なんて一切ないのが問題だけど。
こっちの世界の日向先生は何やってるんだろうなぁ…。
そういえば、学園生活に慣れた延長ですっかり忘れてたけど、俺の家族ってこっちの世界ではどうなってんだろう?
つーか、俺って何?どういう存在?3年ほど植物状態だった俺が生き返った的な?
いや、それだったら世界の違いがおかしすぎるし…頭を打っておかしくなった?
そんなアホなことを考えていたら、ふと自分の爪が目に入って、こんなにマニキュアをつけてないなんて久しぶりだな、と思った。
ピアス穴はあるけど、ピアスはしていない。聞けばぶらぶらしたやつしかないみたいだし、諦めたままだ。
別に絶対必要ってわけじゃないけど、個人的に黒い爪とピアス、帽子なんかが俺のトレードマークだと思ってるから、なんとなく調子が狂う。
ハサミで切った傷はすっかり消えていて、体の痛みや鎖骨を噛まれた傷は長引いていたのに、そっちもいつの間にか消えていた。そんな外傷とは関係なくここ最近、少しだけフラつくことがあって体調がよくない気がしていた。
この世界に来てから食欲があまりなくて、那月が居るとき以外は水を飲む程度でほとんど物を口にしていないし残すことが多かった。そのせいなのか分からないけど、砂月はずっと大学に行こうとしなくて、砂月が作ってくれてもあまり口に出来なかった。でも、食べろって無理強いされることもなくて、どちらかというと自分の分のついでに俺のも用意してくれてるようだった。
どちらにせよ、家から出るなって閉じ込められてるから、気が滅入っているのかもしれなかった。
「あぁあ…もうそれにしても暇だっつーの!」
せめて話し相手ぐらい欲しい…。
那月は学校に通い詰めだし、帰ってきてもアトリエに篭るし、砂月は今日は仕事だと言って出かけて行った。砂月は聞けばそれなりに教えてくれるけど、自分から話を振ってくるタイプでもなくて、作曲をし始めたら話しかけても聞こえてないようだった。
最近の楽しみと言えば、ヴィオラの練習を聴かせてもらうことだ。演奏会があるとは言っていたけど、結構先のようだったから、俺も久しぶりにヴァイオリンを弾きたくなって那月に借りようとしたら砂月に止められて「邪魔するな」と言われて反論したら両手首を縛られた上に布で口まで塞がれた。
前にヴァイオリンはどうしたなんて聞いてきたくせに、そこまでする必要あったのかと思う。
いや、あいつが縛りたいだけなのかもな…。
まだ部屋を貰ってないときだって、客室のベッドに行こうとしたら「逃げるんなら、また後ろから犯してやろうか」なんて、脅された。
それが嫌で部屋を用意してもらったのもあったのに、結局砂月が俺の部屋に来るだけだった。
砂月のことが好きでも、痛いだけかもしれないセックスをさせられたらと思うと怖くて「毎日毎日よく飽きもせずに一緒に寝ようと思えるよな…」とか「たまには自分の部屋で寝ろよ!」とか「いい加減学校行けよ!」なんて言い合いしたこともあった。だけど「そんなに挑発してくるってことは、お前痛いほうが好きなんじゃねえの」と、本当に何がきっかけになるのか分からなくて、大人しく一緒に寝るしかなかった。
それにしても、暇だからってバイトなんてさせてくれなさそうだし…本気でこんなことしてていいのか謎だ…。
「うし、慣れよう。この世界に慣れよう」
そのためなら女装だってしてやる。
那月と砂月が帰ってきて、夕食をテーブルに運びながら、早速言ってみることにした。
「なぁ、外出条件って女装だろ?俺、女装するからなんかこう…ひらひらしない服をだな…」
「翔ちゃん本当!?わぁい!!」
那月が手をぱんと叩いて喜ぶのに対し、俺が女装するなんて言うとは思ってなかったのか砂月は僅かに目を細めて淡々と言った。
「…条件追加な。俺が付き合えるとき限定」
「なんでだよ!?お前だぞ、最初の条件作ったの!」
「あぁ?んなもん俺がルールだからに決まってんだろ。条件飲めないなら、今から地下に括り付けてやろうか」
マジでこいつ監禁罪で訴えてやろうか。強制わいせつ罪でもいい。
「ふざけんな!お前じゃなくて、那月が外に付き合ってくれるんならいい」
ふん、と顔を背ければ、那月が慌てて、俺と砂月を交互に見て弁解し始める。
「あわわ、翔ちゃんダメだよ〜〜!僕はお仕事で忙しいし…さっちゃんも心配なんだよ?翔ちゃんかわいいから、ナンパされちゃうかもって…ね?」
那月に目配せされた砂月はため息を吐いた。
「それもなくはねえが、音也や一ノ瀬に会いたそうにしてたじゃねえか」
「な、そんなわけねえだろ!女装したままで会ったって恥ずかしいだけだし!」
少しだけ考えてなくもなかったことで、どきっとした。
というか、話したり遊んだり、友達付き合いってだけでもダメなのかよ。
それに、ナンパって…可愛くもないしありえないだろ。
「買出しとか…そういうのだけでもいいんだよ…」
「あぁ…それなら尚更、俺について来ればいいだろ?道もわからねえくせにうろちょろされても迷惑だからな」
「……分かったよ、くそ…」
言いくるめられてるだけな気もするけど、結局、俺が折れるしかないのか…?
「明日、1日付き合ってやるよ」
「へ…?」
出来るだけ外に出てほしくないんだと思ってたから呆気に取られる。
「なんだ?どっか行きたいんじゃねえのか?」
「そう改まれると、どっか行きたいってわけじゃなくて…気分転換したいっつーか」
「…まずは服だな。男用の方も数着しか買ってねえし」
「あ、うん…悪いな…」
食べ物だって服だって、ベッドまで買ってもらってるわけだし、どうにかしたいとは思うんだけどな…。
ばつが悪くて、そそくさとイスに座って箸を持てば、那月が「いただきまーす!」と笑顔で言った。
「なぁ、バイトとか…」
「ダメだ。なんか欲しいもんでもあんのか?」
予想通り、即答されて言い合う気にもならなくなった。
「そういうわけじゃねえんだけど…世話になってばっかだから…」
「そう思うんなら大人しく家に居ろ」
「大丈夫ですよぉ!僕たちがしたくてしてることだし、翔ちゃんはこうやっておいしいご飯を作ってくれるでしょう?お掃除だってしてくれて!第一、翔ちゃんを作っ――」
「那月」
「つく、つ、尽くしたいんです!」
「……尽くすってなんだそりゃ。俺は尽くされるより尽くしたいタイプなんだけどな〜そんでお前は絶対に尽くされるタイプで、砂月は…あぁ那月に尽くすタイプ。なんかもう1人だけ、そういうジャンル確立してる」
「でもでも、僕だってちゃんと返したいって思ってるよぉ?返せてる?」
那月が砂月に向かって首を傾げて見せると、砂月が僅かに微笑んで短く肯定する。すると、那月がにへらと笑って砂月に抱きついた。
本当に砂月は那月に優しいと思う。
独占欲が強いくせに俺には優しく感じられないんだから、なんなんだと思う。
やっぱりセックスのことを引きずってないといえば嘘になるし、なんというか俺に対しては目に見える優しさというか言葉がない。
最近はもういちいち脅してくるし、命令口調だし…。
「ばーか、イチャついてんじゃねえよ」
「翔ちゃんもぎゅー?」
「ん?これ食ったらあとでして」
早乙女学園ではそんなこと言えたことあったかな、って思うぐらい、すっと言葉が出ていた。
「うん!」
こっちの那月は好きだと伝えた後も、俺の思っていた通り淡白だった。というよりは、抱きついてきたり、かわいいって言われたり、女装させられそうになったり、そういうのはあまり変わらないけど、元の世界の那月との温度差ありすぎた。
…あぁ、そうか。
俺は那月は那月だから、俺のことを覚えてなくても好きになってくれるって思ってたんだ。
そして、2人を見てて思うのは那月は砂月が好きで、砂月も那月が好きだということ。俺に隠れてキスしてるのを見たこともあったし、ただ一緒に居るだけじゃなくて、風呂でさえ一緒に入ってることが多い。
それに、那月は俺の頬にキスはしても唇にはしないから、そこに俺が割り込んでる、そんな印象を受けざるを得なかった。
2人が分裂した日に俺が穿かされていたスカートは踏んで破け、砂月にも破かれてしまったのに、那月は諦めてなかったらしく、薄く透けそうな生地を何枚も重ねた緩いプリーツスカートがくっついた膝下の白いワンピースになっていた。大きく開いた胸元にリボンがついていて、フリルもついている。その下に黒のインナー、腰には黒くて細いベルトを巻かれて、外は涼しくなってきてるからと薄いピンクの緩いブラウスカーディガンを着せられる。
髪の色と同じ腰近くまであるストレートのウィッグをつけながら呟く。
「おい、これでヒールとか言うんじゃねえだろな…」
「その前に、翔ちゃんパンツ…」
那月が女物のレースがついた薄いピンクの下着を見せてくる。
「アホか!!散々ズボンでいいって言ってんのにワンピースなんか着せといてそれはねえよ!!」
「風で捲れたときにバレちゃうよ?階段とかもあるんだから…」
「いやいや、女もん穿いてても見られた時点でバレるっつーの。だったら男もんのままでいいんだよ」
せめてショートパンツさえあればそれでいいのに、1着もないようだった。
とにかくスカートを穿かされたとき用も考えて、今日はそれをいくつか買ってもらおう…。
「砂月もなんか言ってくれ…いつまで経っても行けやしねえ」
ちょうど日曜で休みなのもあって、朝からあーだこーだと那月に着せ替えられ始めて1時間は経過していた。
正直、出かける前から疲れそうだ。
ソファに座って洋書を読んでいた砂月が他人事のように答える。
「…那月、帰ってきたら穿いてくれるってよ。良かったな」
「誰が!はくか!!」
「わぁい!翔ちゃん約束ですよぉ!」
「絶対、嫌だ!穿いたところで見せるもんでもねえんだし、穿かねえ!」
「大丈夫!僕のTシャツ1枚でチラ見せ――」
「この変態…!!」
「はい、決まり。行くぞ」
砂月に毛糸で編まれた黒いキャスケット帽を深く被せられて、腕を引っ張られる。
「絶対穿かねえからな…!」
叫びながら玄関に行けば、那月の声が響いてくる。
「さっちゃん、アレ忘れずに買ってきてね〜〜!」
「あぁ、分かってる」
ローヒールの落ち着いた色の赤いパンプスが置かれてあって、元から俺の靴はないらしいからそれを履くしかなくて。
「低けりゃいいってもんじゃねえんだよ…」
文句言いながらも履いてから立ち上がった瞬間、眩暈がしてフラつくと砂月が支えてくれた。
「ん、悪い…」
砂月が持っていた女物のかばんを受け取る。
「はぐれるなんてことはないだろうが、いくらか入ってる財布と那月の携帯を入れてるからなんかあったら使え」
こんなデートしに行くみたいな格好させられておいてなんだけど、実際そうなのかな…。
そう思ったら、少し気恥ずかしくて視線を逸らしてしまった。
「うん…サンキュ…」
砂月について歩いていると、砂月は背が高いせいか人の目を引くらしく男女共に振り返る人が多かった。
まぁ…イケメンかと聞かれたらイケメンとしか答えられないからな。目つき悪いけど、日向先生とは違った男らしさを持っててマジでずるいと思う。
せめて男だとバレにくいように帽子を目深に被って、砂月の腕に寄り添えば鼻で笑われて「雨でも降るんじゃねえか」なんて言われた。
ここのところ砂月と口喧嘩になったり邪険にしたりすることが多かったから、余計に珍しかったのかもしれない。
そのまま駅まで行くとどうやらここは東京の外れの方らしく、砂月がさっさと切符を買って渡してくる。これから都心の方に向かうようだった。
電車は難なく座席に座れて、ヒールだから少しでも楽したかったし助かった。
でも、都心に近づくほど乗り込む人の量が増えて、今日は日曜なのにつり革まで埋まり始めた。
「流石、東京だな…」
「そのまま声出してんじゃねえよ」
「あ、あぁ…つい忘れる…」
小声で話すときは気にしないけど、ついつい漏れてしまった声まで瞬時に高い声には変えられない。
「でも、俺…じゃなくて私がこんな無理して高い声出しても気持ち悪いだ…でしょ?」
聞けば、砂月が肩を抱き寄せてきて耳元で囁いた。
「ベッドの上じゃあ、もっとかわいい声してんのにな?」
耳から一気に赤くなるのが分かって、砂月の顔を押し退ける。
「あ、アホっ!!」
顔を背けていたら、肩に置かれた砂月の腕が離れて、砂月が目の前に立っていた。
何かと思って隣を見れば、妊婦さんが「ありがとうございます」と会釈をしていて、砂月が愛想よく「どういたしまして」と返していた。しかも、那月のような優しい声音で。
砂月をじっと見れば、今にも「あぁ?」と言い出しそうなほど眉間に皺を寄せて睨まれた。
那月以外に優しい砂月を見るのが初めてで意外だった。
いや、実際問題、那月と一緒の砂月しか見てないし、二重人格のときは誰かと話すなんてもってのほかで暴れてるイメージだったし、本当はそういう面があるのかもしれないけど…。
電車を降りた途端、砂月に腰に腕を回されて見上げれば、砂月は「はぐれるなよ」とだけ言った。
すげえ恋人らしく感じて、くすぐったかった。
俺たちは人で賑わっているショッピングモールにやってきた。
女装でしか外に出るな、ということはつまり、普段着は正直ジャージかなんかでもよくて、あまりお金を使わせるのも悪いからと数着程度であとは少しの下着だけで済ませておいた。
女物もズボンとかショートパンツ中心に、地味目で安いやつを選んでいると、砂月が「俺の隣を歩く奴に、んなもん着せるわけねえだろ」って言ったかと思うと、清楚系やガーリー系なんかの服を適当に見繕ってぽんぽんと選び始めるから慌てて止めた。どうせ女物の服は家にもあるんだからと、今日買ってもらった男物より少し多いぐらいにしてもらえば、砂月が荷物が鬱陶しいからと、郵送を頼むんだから金銭感覚がおかしいんじゃないのかと思った。
「あ、本屋だ。ちょっと見ていい?」
返事を待たずに腕を引っ張ってコミックスのところを見に行く。
「俺はあっちに用があるから、何か欲しいんだったら持ってこい」
砂月は音楽雑誌が並ぶコーナーを指差して離れていく。
ケンカの王子様がこの世界にもあるのかどうか確認したかっただけなんだけど。
そう思っていたら、ケンカの王子様のコミックスを見つけて、テンションが上がってしまった。
ずらーっと並ぶコミックスを辿っていくと、数年前に1度完結したはずなのに続編が発売されているようだった。
「え、マジ?読みてえ…」
服は仕方ないかもしれなくても、こういう娯楽はちょっと言い辛いよなぁ…。
1巻だけでも言ってみようか…。
でも、1巻だけ読んだって続き読みたくなるし、あぁああバイトしてえ!
涙ながらに手に取ったケンカの王子様Vo.2の1巻を棚に戻そうかと葛藤していると突然声をかけられる。
「すっごく百面相してる」
「だって、読みたいし…」
「あはは、分かるよ〜お金ないの?なんなら1巻だけでもおごってあげるよ?」
「…何、新手のナンパ?」
そう言って声をかけてきた男を見れば、少しだけ身長が伸びている…音也だった。
「違う違う。俺もケンカの王子様好きでさ〜たまに布教したくなっちゃうんだよね!」
地元じゃないのに、こんなとこで会うとかどんな確立だよ!
砂月が音也は俺のこと知らないって言ってたから、何を話せばいいのかと思ったけどすらすらと出てきた。
「分かる!お…じゃなくて、私も学校に持っていって布教用の買ってまで回し読みして…!」
「それやってるやつ居たよ〜!俺も巻き込まれた一人なんだよね!でも、ハマってよかったなーって思ってるんだ。単純に面白いのもあるけど、なにより燃える!!」
「最後はやっぱりそれに尽きるって――」
ふっと影が落ちてきて何かと思えば、砂月が傍まで来ていて音也の腕を掴んだ。
「音也」
「へ?あれ、砂月?偶然だ――」
「いいからこっち来い。お前はこれ持ってろ」
砂月が雑誌を渡してきて、そのまま音也を連れて離れていく。
「何なんだよ…」
一人取り残されて、砂月が渡してきた雑誌を見れば音楽雑誌のようで、表紙に小さく「天才作曲家・四ノ宮砂月。グラビアインタビュー」の文字があって驚いた。
もしかして、那月が買って来いって言ってたやつってこれか…?
ページを捲れば砂月の写真が何枚か載っていた。目つきの鋭い写真のみで、僅かでも笑っている写真はない。それだけならいつもの砂月なんだけど、第二ボタンまで外したYシャツの襟を掴んで胸元を見せるようにしてたり、背中を向けてYシャツを途中まで脱いで横顔でカメラを睨んでいたり、極め付けがカメラを掴んで見下すように舌を出している。
HAYATOの曲を作ったこともあるみたいだし、こんな仕事も引き受けてるんだな…なんて冷静に済ませてられない。
何だこの肌蹴け具合は!!
作曲家のグラビアで普通こんなん撮らないだろ!?
見れば見るほど恥ずかしくなってきて、雑誌を閉じてしゃがみこんだ。
俯いて顔が熱いのを冷まそうとじっとしていると、背中にがっと足を当てられて砂月の声が聞こえてくる。
「具合悪いのか?」
「なんでもない!!」
慌てて立ち上がれば、眩暈がして砂月に抱きとめられた。
また顔が熱くなってきて、砂月の顔をまともに見れなくて背けると音也が目に入る。
「どうも〜!俺は一十木音也!体大の1年――」
「勝手に自己紹介してんじゃねえよ。帰れ、つったろ」
「だって気になるじゃ〜ん!教えてよ、君って砂月の何?彼女?」
砂月が舌打ちして、黙り込んでしまった。
…何?自分で自己紹介しろってこと?もしかして、試されてる?
使うことになるとは思っていなかったけど、砂月に何か女装用の名前を考えとけと言われていた。
一度、女装モデルをやらされそうになったときに、シャイニング早乙女につけられた名前を言うことにする。
「私は小傍唯です。今日は那月が出られないから砂月に付き合ってもらってるんだ」
女らしく、と思って微笑んで小首を傾げてみせる。
今日は恋人みたいだって何度も思ったし、あとが怖いから彼女だって言った方がいいに決まってるけど、そんなことしてもご機嫌取りにしかならない。
それに、何で俺ばっかり家に居ろとか女装しろとかって我慢してんのに、砂月の機嫌なんか窺って過ごさないとダメなんだ…?そんなの恋人って言わないだろ…?
音也が砂月の様子をちらっと見て、恐る恐る聞いてくる。
「えと、それじゃあ那月の彼女なの?」
考えるだけならまだいいけど、その事実を言葉にするのが辛くて。
「っ……それは違う…那月は……私のことなんか眼中にない」
「うわっ、もしかして三角関係?頑張って砂月!俺、応援してる!」
音也はそれだけ言い残して、逃げるようにして去っていった。
砂月はため息を吐いて、俺から雑誌を取るとケンカの王子様Vo.2のコミックスを手に取った。
「これが欲しいんだろ?遠慮してんな」
「…だって」
「そんな顔してほしくて買ってやるわけじゃねえんだけどな」
コミックスでぽんと頭を叩かれて「荷物になるからとりあえず3冊だけな」と、砂月がレジに持っていってしまう。
……はぁ…なんか自分がすっげえ子どもみたいだ。
ちゃんと砂月のことも好きなんだって分かってるのに素直になれない。笑顔が作れない。
レジに並んでいる砂月を追いかければ、砂月は若い女の2人組に話しかけられていた。
「――砂月さん…ですよね?私たち、砂月さんのファンで…握手とか…お願いできませんか?」
「ごめんなさい。僕、双子の兄なんです。でも、ちゃんとさっちゃんに伝えておきますから。ありがとう」
「ぁあ!間違えてすみません!お兄さんも知っています!クラッシックで――」
「わぁ、ありがとうございます!これからも僕たちを応援してくださいね!」
小首を傾げて那月らしく微笑んで、握手をする砂月。
電車の中でも思ったけど、なんで砂月は那月を演じるんだろう…。
目が合えば砂月は俺から視線を外してどこかを睨んでいた。
何かと思って後ろを振り向けば、3人組の男が逃げるように去っていって、首を傾げていると、砂月がレジを済ませて戻ってくる。
「行くぞ…」
俺の肩を抱いて足早に歩くから転びそうになるけど、なんとか堪えながらついていった。
ショッピングモールの外に出ると砂月はため息を吐いた。
「ああいうのはたまに追いかけてくるのがいるからな…」
「…いつからやってんだよ。モデルみたいなこと」
「高校卒業前」
「3年前!?少しは変装しろよ」
「だから那月を装って対応してんだよ。じゃねえと1度声かけてくる奴をきっかけにして、雪崩のように来る」
「へえ…それでか。でも、仏頂面からいきなり那月みたいな顔してもバレてんじゃねえの?差ありすぎだし、そもそもメガネ掛けてないし」
「それはそれで構わない。この辺りまで買い物に来ることもないし、地元じゃ別の意味で有名らしいから誰も俺に近寄らないしな」
別の意味で有名ってたぶん、あの超人的な力のせいだよな…。族にでも入ってたのかこいつは。
ふと視線を下げると、砂月が持っている袋が目に入った。
「あ、ケン王ありがとな…!服も…」
「…あぁ」
もしかしたら、服を買うときに俺の隣を歩く奴にどうとかって言われたのは、モデルをしてる砂月の隣に地味な格好したやつが歩いてたらイメージダウンになるから?
いや、俺は本当は男でも、女が隣に歩いてるってだけでダメなんじゃ?
「…なぁ、ちょっと離れて歩かねえ?」
基本的に腰に手を回されて、寄り添って歩いてることが多いから。
「ダメだ。少し目を放しただけでナンパされてただろ」
ナンパ…?
「って、音也だろ!」
「向こうはお前を知らねえのに声かけてんだぞ?」
「でも、音也はナンパじゃないって言ってたし、トキヤと…」
「嘘に決まってんだろうが。それにあいつはそういうの気にしねえ奴なんだよ」
「……そもそも何で俺がナンパされると思ってんだ!んなわけねえだろ!」
砂月を押し退ければ、腕を掴まれた。
「…俺はお前を誰の目にも触れさせたくねえっつったよな?そんなに俺が嫌いか?」
掴まれた腕が痛くて砂月を見上げれば、いつもと変わらず眉間に皺を寄せていた。
「…今そんな話、してないだろ」
なんで好きって言ってやれないんだろう。
こんな言い合いみたいになって、周りの人の視線が痛いから?
意地になってるだけ?
「あぁ…お前は那月が好きなんだよな」
砂月が僅かに目を細めて、俺の腕を離すから咄嗟に砂月に抱きついた。その反動で帽子が落ちてしまう。
「…お前がモデルやってんならイメージダウンになるかもって、だからちょっと離れて歩いた方がいいって思っただけで……お前が、嫌いとかそんなんじゃない」
砂月はそっと抱きしめ返してくれて、髪にキスをしたかと思うと呟いた。
「……俺はお前に傍に居てほしい」
気まずいまま食事を取って、色んなところを回って、靴を買ってもらったり、帽子を買ってもらった。
帽子なんかは俺を外に出したくないって言ってるだけあって、絶対に被れということなのか色んな種類の帽子を選んでくれた。それらも服と同様に郵送してもらって、手元には雑誌とケンカの王子様だけだ。
それから一息つこうということになって、カフェに連れてこられた。
「お前、マジで金遣い荒い…しまいにゃ泣くぞ…」
カードで買うから金銭感覚なくなるんだよ!
「お前が遠慮するから俺が選んでやってんだろ?」
「だから、ただでさえベッドとかに金使わせてんだから…気になるだろ…」
「…俺にこんなことされても嬉しくないってか?」
なんだよ…その言い方…。いつもの砂月なら、体で払えとか、からかってきそうなもんなのに。
「ありがたいとは思うし嬉しいけど、俺は貧乏性だから素直に喜べないんだよ」
自分のお金でパーッと使うならいいけど、人のお金だと申し訳なさが先立ってしまうだけだった。
砂月はため息を吐いて席を立ってしまう。
「……トイレ」
呟かれて砂月に手を振る。
「あ、あぁ」
本当に上手くいかない。
テーブルに腕をついて俯く。
那月に優しくすれば、砂月が少しだけむっとするのが分かる。それが嬉しいなんて思ってるわけじゃない。自然と那月には優しく接してしまうだけだ。そして、砂月には俺の性分のせいか喧嘩腰になってしまう。砂月の機嫌を窺う以前の問題だった。
でも、それとこれとは関係ないし、必要以上に遠慮しても相手の負担になるんだって分かってるから、ちゃんと笑顔でお礼を言わないと。
足音が聞こえてきて砂月が戻ってきたと思って笑顔を向ければ、そこには知らない2人組の男がいた。
「…?」
首を傾げれば、笑顔で話しかけてくる。
「君かわいいね。俺たちと遊ばない?奢るからさ〜」
は?ナンパ…?
ついさっき砂月がトイレ行ったの見てないのかよ。
「ね、どうかな?」
「連れがいるんで結構です」
「じゃあ、2・2でしょ?ちょうどいいと思わない?」
2・2って砂月が来たら3・1だろ!つーか、俺も男だから4だっつーの!!
心の中で突っ込みを入れていると、勝手に隣と手前に座りだして、手を握ってくるから押し退ける。
「ちょっと、やめ…迷惑――」
殴ってやろうかと思って立ち上がれば、砂月がこっちを見ているのに気づいた。
でも、壁に凭れてじっと見ているだけだった。
カフェに来るまでにも何度か1人になったときに話しかけられることはあった。
そういうときは砂月の睨み一つでどっか行ってくれたんだけど、今回は助けてくれる気はないようだった。
そりゃ「俺1人でも追い返せる」って言ったけど。
砂月だってファンにちょこちょこ声かけられてたり、俺と2人で居ても逆ナンされたりすることもあった。そういうときは抱き寄せられて、睨みと「邪魔すんな」の一言で一蹴するんだからある意味流石だとは思うが、俺の顔を見た途端、驚く人も居て意味が分からなかった。
砂月と身長差あるし若返ってる気もするし、ロリコンとでも思われたんだろうか…。
考えてて悲しくなってきた。
「迷惑だっつってんだろうが!俺は男だ!向こう行け!」
2人だけ聞こえるように、普段の声よりも無理やり低い声を出せば、2人の男は慌てて「ま、マジかよ〜最近多過ぎだっつーの!」と逃げるように店から出て行った。
どうだ、砂月の力なんか借りなくても、退治できるし!
すとんとイスに座って、砂月に向かってべーって舌を出して、ふんっと顔を背ける。
すぐにコツコツと足音が近づいてきて、砂月の声が聞こえてくる。
「……どこ触られた」
「は?」
てっきり、俺1人でも大丈夫だって認めてくれると思ったのに。
「どこ、触られたんだ」
砂月の声が低くて恐る恐る振り返れば、いつもよりも眉間に皺を寄せて明らかに機嫌が悪かった。
「…手?」
小さく言えば、腕を掴まれて引っ張ってくるから、慌てて荷物を掴んだ。
「いた、痛いって…!」
トイレの前まで連れて行かれて、トイレの外にある洗面台の前に押される。何かと思えば、後ろから抱きしめる形でシンクまで手を持っていかれて、石鹸で洗ってくる。指と指の間まで念入りに洗われて、少しくすぐったい。
「…神経質すぎ」
言えば、足の間に砂月の足が入ってきたかと思うと、股下を太ももで擦ってきて体がぴくんと跳ねた。
「ん…やめ、やめろって…」
ここのところ1人でもしてなかったから、僅かに擦られるだけでも気が抜けてしまいそうだ。
「神経質なんかじゃねえ」
洗い流した手で顎を掴まれて鏡を見させられると、赤い顔をしている自分が映っていて、更に顔が熱くなってくる。
「いい加減、分かれよ」
自分の顔を見ても、ナンパされる理由も、何が砂月をそうさせるのか正直分からない。
でも…。
「わか、わかったからっ…!もう離せって!っ……足やめ…」
「本当に分かってなかったら、どうなるか覚えとけよ」
手と体を離されて、ほっとしながらペーパータオルで水分をふき取れば、砂月が荷物を持ってくれた。
砂月が俺のことを好きなんだと痛いほど伝わってきて、胸が苦しくて耳まで熱くなってしまう。
ちゃんとお礼を言うつもりだったのに言葉が出てこなくて、砂月が向こうに戻ろうとするから腕を掴んで引き止める。
「…色々買わせて…ごめん」
途端に砂月がため息を吐いてしまう。
「まだ言ってんのか」
反論したくなるけど、堪えて笑顔を浮かべてみせる。
「……ありがと、な」
上手く笑えたかも分からないし、一瞬でぱっと視線を逸らしてしまったけど、砂月に肩を抱き寄せられる。
「…そうやって笑ってろ」
「……ん」
「うわっ…!」
慣れないヒールで長時間歩き回ったからか、転びかけるたびに砂月に支えてもらうことが増えてきた。
「ちゃんと掴んでろって言ってるだろ?歩くの早いか?」
早くない。むしろペースは遅くなっている方だった。
「全然…手にあんま力入らねえんだよ…足も、ちょっとしんどい…」
夕方の6時を過ぎて辺りが暗くなってるとは言っても、ただつまづくだけじゃなくて、膝がかくんと落ちることもあった。
「…そろそろ帰るぞ」
「ん、もうちょっと…」
久しぶりの外だからと、5時ぐらいからずっとそう言って引き伸ばしている。
1度立ち寄ったアクセサリーショップで、前によくつけていたピアスと似た色の青いピアスがあって、じっと見ていたら砂月が買ってくれた。本当に躊躇なくお金を使うから、いっそ清々しいとも思えて少しだけ申し訳ないって気持ちが楽になった。
それからは特に何を買うわけでもなくウィンドウショッピングをしているだけ。
たまに休憩して、街の植え込み周りのレンガに座り込む。その繰り返しだった。
砂月がため息を吐いたかと思うと、体がいきなり浮いてお姫様抱っこをされてしまう。
「ちょ、ちょ、何してんだよ!降ろせって」
周りの視線が一気に集まってきて、砂月の胸に顔を隠すように押し付ける。
「帰るんなら降ろす」
何で砂月はこうも断れない状況に追い込むのが好きなんだ…?
からかってる?
そう思って砂月の顔を見ても、少しも笑ってなくて眉間に皺を寄せているだけだった。
心配、してくれてるんだ…。
「…わ、かったよ!」
降ろされた瞬間、膝がかくんと落ちて咄嗟に砂月に抱きついた。
「ごめ…」
「タクシー呼――」
「それはいいから!」
慌てて見上げれば、砂月が僅かに微笑んだ。
そういえば、今日はずっと砂月は不機嫌だった。
というよりは、俺が砂月の機嫌を損ねてたという方がいいのか…。
出かけてすぐはそうでもなかったのに、口を開けば言い合っていたような気がする。ため息の量も多いし、歩いているときにふと砂月の顔を見ても、いつもよりも眉間に皺が寄っていてどこかを睨んでいるようにも見えた。
それでも俺は久しぶりの外で気分転換になってたんだけど…。
素直に…素直…ってなんだっけ?砂月みたいな直球が素直?
なんて考えてたら、本当に疲れてるのか眠くなってきた。
「…俺は、楽しかったんだぞ…?だから、もうちょっとって…」
砂月がモデルをしてることとか、目つき悪くても結構声をかけられるってこととか、那月を演じる砂月なんてもんも見れたし、音也とも話せたし、ケン王だって色々買ってもらえた。砂月と遊びにきてよかったって思う。
「…そうじゃなかったら、とっくに連れ帰ってる」
それってお前も楽しかったって思っていいのか…?
怒ってない…?
そう聞こうと思ったけど、楽しくなかったんだったとしたらと思うと聞けなくて、黙って砂月に寄り添って駅まで向かった。
電車はまだ早い時間なのか、満員とはいかない程度に多くの人が乗っていた。
入り口付近のイスの背凭れの裏に背中を預けて、扉の脇にある手すりを掴めば、俺の足を挟むようにして砂月が前に立った。
「近ぇよ…」
「普通だろ」
扉が閉まって電車が動き始めれば、手と足で反動を支えられなくて砂月の方に倒れこんでしまう。
「…限界か」
「…?」
眠気のせいなのか視界がぼんやりしてきて首を傾げれば、砂月に頬に触れられる。
「怒るなよ?」
「…うん?」
聞き返せば、答えもなく背中に腕を回されて、砂月に口付けられてしまう。途端に、どくんと音が鳴って、熱が上がってくる。逃げようと思っても手で後頭部を押さえられると帽子も取れてしまって、砂月の体を押し返そうとしても、変わらず力が入らない。砂月の視線が鋭くて伏せるように逸らせば、周りの人がぱっと視線を逸らすから、一気に顔が熱くなってきて、目を閉じて砂月の服を引っ張るように握った。
「んっ…」
電車が揺れて、僅かに開いた唇を舐められて涙が滲んでくると、頬に砂月の手が触れて唇が離れていった。
周りの視線が痛くて、顔を見られないように砂月に抱きつけば、帽子を被せられて抱きしめるように頭に手を添えてくる。
「平気か?」
「…なわけないだろ!」
「じゃなくて、足」
言われて、足に踏ん張りが利くようになっていることに気づいた。手に力も入る。
「…あ、れ…?なんで…?」
「キスで血行がよくなったんじゃねえの?もっとしてやろうか」
確かに顔も体も熱いけど…そんなんで治るわけないし、キスしてるときはむしろ力が抜けそうだったぐらいなのに。
「あ、アホか…!こんな人見てる前で…」
「だから先に怒るな、つったろ?家だったらよかったのか?」
「…も、いいっ!」
どうせ先に言われたって拒むだけだし、言い合いの意味もなかった。
電車が停車して大きく揺れて、砂月にしがみつく力を強めれば、体を剥がされる。何かと思えば、砂月が耳元まで顔を寄せて囁いた。
「ヤりたくなるから煽るな」
「や、煽…っ!?」
少しだけ落ち着いてきた熱が、再び熱くなるのを感じて、砂月を押し返して顔を背けた。
「くくっ…真っ赤」
「っるせ!」
すっかり砂月のペースになってるけど、砂月が今日一番楽しそうだから、まあいいかなって思った。
家に帰れば、那月の熱烈なハグを受けた。
「おかえりなさ〜い!翔ちゃん楽しかったぁ?」
「まぁな。腹減ったろ?なんか作るよ」
那月が持っているものに嫌な予感がして、体を押し返して帽子を取りながらキッチンに向かう。
「その前にこれ着よう?」
予想通り、那月が大きいTシャツと女物の下着を掲げて見せてくる。
「着ねえっつったろ!!もう、それ見せてくんな!」
「どうして〜?絶対かわいいのに…」
しゅん、とする那月にため息を吐いて振り返る。
「あのな、いくらお前の頼みでも俺にだって男のプライドっつーもんがあるんだよ」
「そ、そうだよね…」
「女装したままでんなこと言っても説得力ねえけどな」
「うっせ!誰のせいだと思ってんだ!」
砂月が鼻で笑ってくるから、それだけ言って逃げるようにキッチンで夕食の準備を始めれば、廊下から那月の甘える声が聞こえてくる。
あぁ、またキスでもしてんだろうな…。
少しして2人ともダイニングにきてイスに並んで座った。
那月が寄り添うように砂月の腕に抱きついて凭れかかっているのが目に入って、視線を逸らした。
今までだったら、またイチャついてら、なんて思う程度だったのに、今日は結構クるものがあった。
那月に触れたい。でも、那月は俺のことを見てなくて。
砂月のことが好きだと思ってても、どっちにも嫉妬している自分が居てわけがわからなかった。
俺のことを好きじゃない那月は要らないなんて思ってないのに、寂しくて砂月だけでも俺から離れないでほしいと思った。
悶々と考えていると、那月がいつもの調子で声をかけてくる。
「かわいいお洋服たくさん買ってもらった?」
慌てて冷蔵庫から野菜と肉を取り出しながら答える。
「あ、あ〜買いすぎで勿体無いぐらいだっつーの」
「ふふっ、お着替え楽しみだなぁ!あ、さっちゃん雑誌!」
砂月が那月に雑誌が入った袋を渡す。
「わぁ!!すっごくかっこいい!!」
かっこいいというか、色気が凄まじいというか…。
それでもいつものことなのか、砂月は照れもせずに自分の写真を眺める那月の横から一緒に雑誌を見ている。
「…良かったな」
「うん!そうそう、撮影でグアム行くんだよね?11月からいつまで?」
グアム…?
「1週間から10日」
途端にがん、と音が響いて肩がびくつく。
「わっ、翔ちゃんどうしたの?大丈夫?」
慌てて駆け寄ってきた那月にはっとして、下を見るとどうやら俺がフライパンを落としていたらしかった。
「な、なんでもない」
言いながら、急いでそれを拾い上げる。
「怪我してない?」
那月が顔を覗き込んでくるから、笑顔を作る。
「あぁ、大丈夫だ。驚かせてごめんな」
「ううん。本当に大丈夫?顔色良くないよ?」
「そ、そっか?ちょっと歩きすぎたからかも。ごめん、俺…先に寝るわ」
砂月の顔が見れなくて、フライパンをコンロに置くと、途中で目に入ったかばんだけ持って逃げるようにキッチンから出ていく。
「翔ちゃん…!?」
那月の声が廊下に響いて、部屋に入る前に那月にもう1度笑顔を作って見せた。
ウィッグを外してソファに座り込む。
投げやりにカーディガンを脱いで、ベルトを外したところで、ワンピースが背中ファスナーだということに気づく。
「あぁ…1人じゃ脱げねえ…」
襟首がかなり緩いから、袖から腕を抜いて上から引っ張り上げたらあっさりと脱ぐことが出来た。
「案外、出来るもんだな…」
女物のインナーを脱いで、スウェットとTシャツを着て、再びソファに腰掛けた。
グアム…。
そんなこと砂月は今の今まで言わなかった。
モデルしてるってことも今日知ったばかりなのに。
少しだけぼうっとする頭でかばんをとって、砂月に買ってもらったピアスをつけた。鏡を見れば暗い部屋にピアスの僅かな光を映している。
クッションを抱きしめて唇に触れる。
あのときは自分でも何で?って思うぐらい、どくんと音が鳴って手からフライパンが滑り落ちた。
今思えば、電車でキスしたあとだったし、砂月だけでも離れて欲しくないって思った直後だったから、余計に血の気が引いたんだ。
だって、今日は10月28日だぞ?
あと4日もしたら、最低でも1週間以上砂月に会えないってことだ。
俺だってアイドル目指してたから、そんなこともあるって知ってたけど、それがどういうことかちゃんと理解してなかったんだ。
ほんの僅かな時間かもしれないけど、砂月に会えないと思ったら苦しくて呼吸を忘れていた。
やたらと機嫌を悪くさせてしまったのだって、何でそんなことしてしまったんだろうって。
あぁ、後悔って後から悔やむから後悔なんだよな…。
何当たり前のこと考えてんだろうって自嘲して、布団に潜りこんだ。
那月が首を傾げながらダイニングに戻ってくる。
「本当に疲れただけなのかなぁ…?グアムのことちゃんと翔ちゃんに言ってなかったんじゃないの…?」
グアムでの撮影は8月の末ごろにオファーが来た。大学の長期休暇終盤の9月末にとの話だったが、ちょうどその頃は那月が翔の人形を作っている最中で、早ければ俺がいない間に人形が完成してしまう可能性があった。俺がいない間に納品することはないとは分かっていても、様々な可能性を考えて出来るだけ完成するまで傍に居たかった。
流石に10月には完成するだろうと踏んで、11月にスケジュールを組んだ。もう2ヶ月も前のことだ。
「…嫌がってでも連れてくつもりだったし、例え言ったとしても俺とだなんて拒否するに決まってる」
俺には人形がキスを原動力にする、というおかしな力を自分の目で確かめる必要があった。どれぐらいの期間、その力が持つのかも知らなければならない。だから、俺は大学を休んでまで夜中も動かなくなるような兆候がないか翔を見ていた。
一緒に居る時間が長い分、翔が俺のことを好きなんだと無理にでも分からせたくなる衝動を押さえ込むのは大変だった。だが、翔は俺のことを好きなのかと思えば、曖昧な答えばかりで、まるで好きなのは那月だけだというような態度で俺を突き放してくる。
そんな状態でキスしてしまったら、また縛り付けてでも犯したくなって、そうすると翔が那月とは恋人だと言ったときの黒い感情を呼び起こしそうで押さえ込む手伝いにはなった。
「そんなことない!きっとさっちゃんがいなくなると思ってショックだったんだよ〜」
翔は那月を相手にするときのような笑顔を俺に見せることはほとんどない。那月相手だけならいいが、外での翔は俺以外には愛想よく笑顔を振りまくことが多かった。
生前の翔を知ってる奴に会わせたくないということも、俺たち以外の目に触れさせたくないこともそうだが、俺はほかの誰かと居る翔を見たくなかったんだと思い知らされた。
「……だとしたら好都合だったんだがな」
大体、翔は女装している自分がそういう目で見られているという危機感が薄い。
歩いているときも、電車でつり革が埋まりだしたときも、男ばかりが翔の前に立っていやらしい目つきで見ていた。睨みつけるだけで視線を逸らすから、那月と同じ顔のはずなのに久しぶりに目つきが鋭いのも悪くないと思えた1日ではあった。
「早いうちに教えてあげよう?ね?」
那月が俺の腕を引っ張って廊下に押し出してくる。
今日、翔の体調が一気に悪くなったのは、普段の生活よりも体力を消耗したことによるものだと仮定した。
グアムでの撮影は1週間から10日程度でも、回復させてやれる俺がいない間に消耗させるわけにはいかない。
だが、人形だと認識しつつも、人間のように動く翔にすっかり失念していたことがあった。
首を振って、那月を抱きしめて小さく呟く。
「…翔には…戸籍がない」
それはパスポートの申請が出来ないということ。
布団を抱き枕のようにして抱きしめて目を閉じていると、扉が開く音が聞こえる。那月はいつもノックをするから、入ってきたのは砂月だ。
砂月は毎日、俺に添い寝をさせる。
いつもなら、あぁ、また狭苦しい眠りが始まる…なんて思うぐらいなのに、今日ばかりは素直に嬉しいと思った。
「あったあった」
でも、聞こえてきた声は那月の明るいトーンで、思わず声をかけた。
「那月…?」
「あ、起こしちゃった?ごめんね…携帯電話取りに来たんです」
ピアスを入れていたかばんを持ってきてしまって、そこに那月の携帯電話と財布も入っていたことを思い出す。
「悪い。忘れてた」
「ううん。あのね、ちょっとお話ししてもいい?」
「ん?いいけど」
いつまでも眠れなかったからちょうどいい、そう思ってベッドから降りて、ソファまで行けば那月が電気をつけた。
目の前のテレビの前に置かれてある時計を見ると、布団に篭ってから2時間は経過しているようだった。
ソファに2人並んで腰掛ければ、那月から風呂上りのいい匂いがしてくる。
「翔ちゃんとえっちしたいって言ったら僕としてくれる…?」
「は…?」
唐突過ぎて、頭にクエスチョンマークしか浮かばない。
「…んだそれ」
3人でしたとき那月は砂月に遠慮しつつも俺を抱いた。あとから、那月は砂月が好きなのにそう出来るってことで、恋愛感情として好きじゃなくてもセックス出来るやつなんだと俺は思っていた。
「ダメ…?翔ちゃんは前に好きだって言ってくれたよね…?」
那月が小首を傾げて、捨てられた子犬みたいな顔をする。
「……お前…ずるい。断れねえんだよ、その顔」
「ほんと!?」
勢いよく抱きつかれて頬にキスされる。
そのまま首筋に吸い付いてくるから、那月の顔を押し返した。
「……ダメだ。しない」
「…どうして?」
「……お前が、俺を好きじゃないから、だよ」
那月が小首を傾げて不思議そうな顔をする。
「…?好きだよ?」
那月は俺に唇にキスをしない。
唇にしてほしいと言えば那月はきっとしてくれるし、俺からすることも出来る。でもそれじゃ、ダメなんだ。
スキンシップが多い那月だからこそ余計に、自然とそうしたくなるほど俺のことを好きじゃないってことを表している。
「恋愛、じゃないだろ?分かるんだよ…」
「でも、翔ちゃんは僕のこと好きでしょ…?」
「…好き、だよ。でも――」
俺のことをちゃんと好きじゃない那月とセックスしたいとは思わない、そう言おうとしたのに。
「翔」
扉を開ける音と共に低い声で呼ばれたかと思うと、砂月に強く腕を引っ張られて、力を入れて踏ん張ってもあっさりと連れて行かれてしまう。
「…な、那月…っ!」
振り返れば、那月は手を振ってにこにこと笑っていた。
また砂月の部屋に連れて行かれるのかと思ったら、横を素通りして、一番奥にある防音室に放り込まれた。
ガチャリと閉まる鍵の音に肩をびくつかせて後ずされば、一気に距離を詰められて首根っこを掴まれ、背中から床に叩きつけられる。
「ぐ、っ…」
衝撃で目を見開けば、砂月の目が笑っていた。
抵抗しようと体を動かそうとしても、砂月に乗られていて出来ない。息が苦しくて砂月の手首を掴む力が強くなる。
「翔ちゃんはぁ、僕が好きなんだよね?」
砂月も風呂上りなのか、ついさっき那月に抱きしめられたときと同じ匂いがしていて、那月と同じ笑顔で、那月の声音で話すから、体が強張ってくる。
「ふふっ、大丈夫。ちゃあんと可愛がってあげますからねえ」
ふっと首から手を離されて、喉を押さえて咳き込む。
「ごほっ……こほ…!」
砂月が俺の上から退いて離れて行ったと思ったら、那月と同じメガネを掛けて包帯とハサミを手に戻ってきた。
「苦しいの?手当て、してあげるね…」
立ち上がれなくて喉を押さえながら、首を横に振ってそのまま後ろに下がって距離をとる。
「っごほ……はっ……や、何する気だ…!」
砂月が包帯を適当な長さに3本切って、ハサミを投げ捨てると同時に、背中が壁にぶつかった。
「さつ、待っ…先に…」
那月と同じ顔を作ってるから余計に怖くて言葉に詰まってしまう。
足を挟むようにして砂月に乗られて、砂月がにっこり微笑んだ。
「はい、あーん」
「話を…っんん!!」
顎を掴まれて開けさせられた口に、ロール状の包帯を押し込まれてしまう。そのまま、押さえつけられて吐き出せないでいたら、長く切った包帯を添えて吐き出せないように何重にも巻かれて後ろで縛られた。
「んん!!!」
手で包帯を外そうとしたら、強い力で腕を掴まれて両手首まで縛られてしまう。
そして、髪にキスをされたかと思うと、抱きしめられて頭を撫でてくるから、涙が出そうだった。
「かわいい、かわいい翔ちゃん。怯えなくてもいいんだよ…?」
砂月に言えない言葉を、那月には言ってしまったから、だから、こんな…。
そもそも俺がいつまで経っても伝えなかったからだ。
言い訳もさせてもらえないなら…。
砂月が僅かに離れた隙に俺は包帯の上から砂月にキスをした。
好きだって、目で訴えて。
砂月の目が一瞬見開いたけど、すぐに那月のように微笑んで唇を舐めてきて、服の下に手が滑り込んでくる。胸の先端を軽く撫でられて、どくんと音が鳴ったかと思うと、唇が離れていった。
「翔ちゃん興奮してるの…?こういうのすき?」
勢いよく首を横に振れば、先端をぎゅっと摘まれて体が跳ねる。
「でも、ここ勃ってるよぉ?」
答えないでいたら、くりくりと撫でられて力が抜けてきて砂月に凭れかかってしまう。
上がってくる熱と、包帯のせいで息が苦しい。
浅く呼吸を繰り返して、滲んでくる涙に砂月を見れば、変わらず那月のように微笑んでいた。
「あ、そっか。翔ちゃんは喘ぐの大好きだもんね」
言われて、顔が一気に熱くなって慌てて首を横に振った。
「んーんっ!!」
「ふふっ、あれって煽ってるんでしょう?隠さなくても分かってます!」
体を抱き寄せられたかと思うと、壁から少し離れて床に押し倒される。
「翔ちゃんが僕でとろとろになったら、これ、外してあげる」
口元の包帯をつーっと撫でて、耳元で囁いてくる。
「そうしたら、かわいい声…聴かせてね」
左胸の先端を直に指で擦ったかと思うと、ぴんと跳ねてきて体を震わせれば、ちゅっと服の上から反対の胸の先端にキスされて硬く目を閉じた。舐められるたびに服と擦れて、鼻から抜けるような声にならない声が漏れていく。唇で挟むように優しく刺激されるだけで、やんわりとした快楽が全身に広がって身震いしてくる。
服を首まで捲られて、砂月が舐めてきたところが空気に触れてひんやりした。
吐息までは真似出来ないのか、砂月から漏れ出る吐息に低い声が混じっていて、そのたびにぴくんと体が跳ねた。
那月は俺を好きじゃない、それを思い知らされたあとだから、那月じゃなくて、砂月がいいのに声を出せないから伝えることもできなくて涙がこぼれてきてしまう。
窓から月の光が入ってきて、暗闇に溶けそうな砂月の髪を照らしていて、翡翠色の瞳がときどき鋭い視線に変わっているのが分かってまた涙がこぼれた。
「…僕も翔ちゃんで…気持ちよくして…、ね?」
どうしたらいいのか分からない。
砂月は那月として俺を抱いて、俺が嫌がるのを待ってる?
それとも、嫌がったら「本当は俺だから拒むのか」って言ってくる?
そんなの関係なく、俺を無理やり抱いて憂さを晴らそうとしてる?
答えが出なくて黙っていたら、スウェットと下着を一緒にずり下ろされて、服で擦れて体が跳ね上がった。
太ももを持ち上げられて、抵抗のつもりで足を閉じても構わずに秘所に指を挿れられて背筋が反れる。
「んんっ!」
「あ、あぁ…挿れたい…。翔ちゃん、どうしてほしい?挿れてもいい…?」
そんなの、迂闊に答えられない。
「…あ、翔ちゃんのピアス、きれい…」
呟かれて、一気に耳が熱くなってくる。
部屋に戻ってすぐ砂月のことを考えながらつけたから恥ずかしくて。
瞬間、指を一気に引き抜かれて、砂月は自分のズボンを下着ごと下ろしたかと思うと、両足を押し広げられて、熱くて硬くなったそれを秘所へとあてがった。
「ふふっ、ちょっと当てただけでひくついて…僕を欲しがってる…」
顔が熱くて腕で隠せば、中を一気に突き上げられて大きく背筋を反らした。
「んんーーっ!!」
びくんと跳ね上がる足を掴まれて、砂月が笑顔で楽しそうに中を突き上げてくる。揺さぶられる体に、隠すなと言わんばかりに足を開かされて、気持ちよさよりも恥ずかしさのあまり堪えきれなくて熱を吐き出してしまった。
「っ!!!」
久しぶりだから量も多くて、あとからあとから小さく飛び出した。
「翔ちゃんいつも早いよぉ?そんなに、気持ちいい…?」
「ん、……ん、…んんっ…」
達したあとでただでさえ敏感なのに、繰り返される律動に声が漏れてしまって、どう受け取られるのか分からないことが怖かった。
「それって…僕で感じてる…ってことだよねえ…?」
僕で…?
那月で、ってこと…?
首を横に思いっきり振って見せれば、途端に砂月の眉間に皺が寄ったかと思うと低い声で言った。
「イッといて感じてないわけねえだろ?…あぁ、まさか本当は俺だから声や顔は那月でもっていうんじゃねえだろうな?」
首を縦に振れば、砂月は俺の中から引き抜いて、体を反転させてくる。
カシャンという音と共に顔の横にメガネが落ちた。
「お前よく挑発して後ろからヤッて欲しがってたよなァ?」
「んん!!」
この前のことを思い出して肩がびくつく。
砂月が怒っているのなら、この前みたいに酷くされるのは目に見えてる。
なんとか首を横に振れば、口の包帯が外れて、包帯の塊を吐き出すことができた。
「こほっ、…ちが!さ、砂月!待っ、や、後ろはや……あぁああっ!!」
躊躇なく中に押し込まれて、痛いほどの快楽が走って悲鳴を上げた。
「好きなとこは突いてやらねえ」
砂月がそう言った途端、力任せに突き上げられて、最初以外は気持ちいいところを掠めるだけだった。
それでも、前よりは滑りがいいからか痛みがマシなことが救いだった。
「…おねが、砂月……っ、ん、あっ…」
「自分で揺らして好きなとこ当ててみろよ」
恥ずかしくて、そんなのできない。
「や、ら……さつ、…んっ…砂月が、突いて…」
「……理由は」
「さ、砂月に…気持ち、よく…してほし……ん…ぁっ…あぁあっ!!」
やっとで言い終えれば、砂月がいいところを強く突いてきてびくんと体が跳ねる。
「く、そが…っ!」
「あっ、ん、ぁあん……ふっ、ぁあ、砂月、…さつ、ん……ひぁ……!!」
いやらしい水音が増してきて、律動も激しくなっていく。
止め処なく声が漏れて、何度も何度も、砂月の名前を呼んだ。
「……砂月、ぁっ…ん…はっ……ぁあ…!」
「っ翔…」
苦しそうな声で呼ばれて、砂月だと強く意識すれば体がより一層熱くて、喉の奥から絞るようにその言葉を吐き出した。
「っ、…す、き……砂月、好き…だ……あぁあんっ…!!」
砂月が大きく脈打って、砂月のくぐもった声と共に熱いのが中に吐き出されると、俺も再び熱を吐き出した。
「は、っはぁ……ん…」
余韻に浸る間もなく、砂月のものが引き抜かれて、自力で体を反転させれば、床に押し付けるようにキスがやってくる。体がどくんと鳴って、力が抜けそうな手で砂月の服を引っ張るように掴んで、砂月の舌を受け入れる。上がる息と熱が苦しくて、でも、それが心地よくて舌を重ね合わせれば、ざらざらとした舌の感触がくすぐったくて気持ちよかった。そのままキスをしていると、手首の包帯も外してくれて俺は勢いよく砂月の首に腕を回した。
「んっ……ぁ…ん…」
砂月の頭を抱きこんだとき、はっとした。
グアムのことを思い出したからだ。
砂月と目が合って唇が離れていけば、砂月が抱きしめるように首筋に顔を埋めてくる。
「…セックスしてるときは素直なんだな」
首筋に吐息が掛かるのもそうだけど、耳元で囁かれてぞくぞくしてくる。
「んっ……お前、だって…俺に、好きだって言ってないだろっ!」
「あ?そうだったか?」
「そう――」
あっけらかんと言われて、叫ぶようにして言えば言葉を遮られて。
「好きだ、翔…」
「っ!!」
どくんと音が鳴って、砂月から逃げるように首を反対に倒せば、追い込むかのように口元を寄せて甘く囁いた。
「愛してる…」
耳まで真っ赤なのも絶対見られてるし、体が火照るのも伝わってるんだと思ったら、たまらなく恥ずかしかった。
自分で言ってるわけじゃないのに、こいつが言うと何でこんなにも恥ずかしいんだ。
直後、耳たぶにリップ音を落とされて肩がびくつく。
「…俺の傍から離れるな」
離れたくない。グアムにさえ行って欲しくない。でも、仕事だから仕方ない。
そう思ったら、それってプロポーズ?なんて茶化すこともできなくて、小さく頷けば、もう一度リップ音が響いた。
「……グアムでの仕事は出来るだけ早く済ませる」
体が強張ると、砂月が首筋からちゅっちゅと吸い付きながら下に移動していく。
「…ん…本当は、構ってやれなくても……連れて行きたかったんだがな……那月を頼む…」
さっき砂月が俺をこの部屋に連れて来る前、那月は笑顔だった。
今思えば、あれは那月の作戦だったんじゃないのかと思った。
那月も砂月を好きなのには違いないのに…。
「……あぁ」
防音室から自分の部屋のベッドに移動したあとも、翔は本当にセックスしているときだけは素直なのか、甘えるように絶え間なく好きだと口にした。
そのせいで、いつまでも納まらない高ぶりが翔の意識を呆気なく飛ばさせた。
本当に俺の怒りは馬鹿らしい理由だったと改めて思った。
3人でセックスする前、翔が音也に俺と恋人だと否定したことはただのきっかけでしかなく、翔が動いた日、翔が那月と恋人だと言っていたことが原因だった。
それだけならいいが、俺の那月が、俺の許しもなく誰かと付き合うなんてありえなかった。
那月に裏切られたと感じると共に翔は俺と恋人になりたいという意識すらなかったんだと思ったら、強引に犯さずには居られなかった。
そのあと那月に問われて、翔の知っている那月と俺の那月を混同するなんてどうかしてると自嘲した。
だけど昨日、翔は那月を好きなくせに、那月を拒んだせいで色んな感情が混ざって抑えきれなかった。
本来なら俺のせいで那月がああ仕向けたのだから、那月を慰めてやるべきだったのに、まだその気持ちを引きずっていて、そうすることが出来なかった。
そして、セックスしてるときに翔が「俺のこと好き?」って何度も聞くからイラッとして「好きだから抱いてんだろうが!」って返したら、すごい勢いで泣かれて「ずっと砂月に好きじゃないとしたくないし、したいと思わないって言ってほしかった」と言われた。
勝気なのは生前の翔と変わらないと思うが、この翔は内に溜め込んでぐるぐると悩む癖があるらしい。
まぁ、俺は翔の性格っていうより、容姿に惚れたのが大きいから、泣くのも可愛いとは思うし気にはしないが、不都合な点も出てきそうな気がする危うさだとは思った。
ベッドに凭れて五線譜にペンを滑らせていると、翔の痛がる声が聞こえて喉の奥で笑う。
「せいぜいその痛みで俺を思い出しながら過ごすんだな」
「っ!?」
夜中はあんなに素直だったんだから、流石に言うことは聞くだろうと声を低くして言う。
「俺が居ない間、絶対に外に出るんじゃねえぞ」
翔が黙り込むから、振り返ってベッドに乗り上げながら睨みつければ、翔の瞳が揺れて追い込むように続けた。
「分かってるよな?…俺しか考えられなくさせるためなら、恐怖を植えつけることも厭わない」
かと言って、那月を蔑ろにしたら許さないが。
「……もう…十分、お前のことばっか考えてるっつーの…」
珍しく素直だと思うと同時に、頬を染めている翔に口元が上がる。
「…んなこと言われたら抑えらんねえ」
「ばっ!お前、いい加減がっこ――」
翔を押し倒せば胸を押し返してくるけど、力がなく抵抗の意志は薄いようだった。
「いい」
そのまま唇に自分のそれを重ねて、深く口付ける。
今日を含めてグアムまであと3日。
俺たちは出来る限り愛し合って過ごした。
以下、おまけ。グラビア写真の1枚。
私にはエロさを表現できなかtt(ry
小説かいてると色々と挿絵はさみてええってなりますね…!
2012/07/14